ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

インターネットが社会にもたらしたもの

囲碁、将棋、麻雀といったゲームが致命的にできない。

ルールや役を覚える時点で断念してしまう。

 

ただ、そういうゲームに興じている人の話を聞くのは好きで、何か自分とかけ離れた世界の話に熱狂している姿に接していると少しだけ足を踏み入れた気分になれるからだろうか。

 

感想戦」という言葉が将棋の世界にはあるらしく、終わったゲームをああでもないこうでもないと検討していく作業をいうのだそうだ。

 

リアルタイムで動いているものは自分には動きが速すぎてついていけないが、感想戦のように終わったものを分析していく作業が個人的には結構好きでちょくちょくやっている。

 

最近は「インターネット」がどのような変化をもたらしたのかについて考えることが多い。

 

当たり前のように日常生活で使うようになったもののこれが一体なんなのか未だによく理解できていない。

 

技術的な話をすれば、十数年前は画像をダウンロードするだけで1時間近くかかっていたものが今ではほぼリアルタイムで動画をストリーミングできるレベルにまで回線のスピードが速くなったとかそういう話に終始する。

 

パソコンのメモリが昔は何メガバイトでうん万円したものが、今では同程度の価格で何ギガバイトのモノが手に入るなど端末や回線のスペックは明らかに向上して一般の人間が手に入れるための敷居は下がっていることは明らかだ。

 

そういったことよりもインターネットが普及したことで、人や社会がどう変化したのかについてあまり日常生活で語られることがないような気がする。当事者である自分自身もふとした瞬間にそういえばといったことは感じることはあるものの、それが何なのかを説明することができないことが多々ある。

 

インターネットが社会的に影響を持ち始めたターニングポイントとしてやはり「ホリエモン」の存在は大きいと思う。当時、他にもインターネットを駆使して様々なビジネスを展開していた人はいたはずだが、ホリエモンの存在は社会がインターネットを通じて新しい可能性を社会に示すアイコンとしてとても分かりやすかったのもあるのだろう。

 

ホリエモンに憧れて」といった言葉を20代後半から30代半ばくらいの人間から聞く度にやはり彼の存在によって価値観に大きな変化が起きた人がたくさん生まれたのだろうと感じる。

 

その彼がテレビ局買収の件で逮捕されたニュースを見た当時、何かが終わったようななんともいえない寂しさのようなものを感じた。今も現役で色々やっているなんて当時は全く想像できなかった。

 

世間を騒がせた事件ではあったものの、それをどこか対岸の火事のような感覚で見ていてそれがどういう意味を持っていたのか当時は知るよしもなかった。

 

ライブドアの時期から株式投資がブームになって小泉政権下でつかの間の好景気に湧くさなか、投資に関して色々と調べていたことがあった。もちろんリアルタイムのゲームは得意ではないので、そういったものに関わっている人について調べていたのだが。

 

松井証券という証券会社に松井道夫という社長がいるのだが、その人が書いていた「フランケンシュタイン博士の憂鬱」というコラムを読んだことがあった。寄稿された時期は2005年。

 

jfn.josuikai.net

 

松井証券はインターネットの普及とともに従来の営業体制を全て解体したことで、業績を飛躍的に伸ばした証券会社だという。そこで語られていたことは当時の自分には衝撃的で既存の価値観がどんどんと崩壊していくことが予見されていた。

 

2005年あたりの時期はこのような変化の兆しが姿を現した時期だったような気がする。当時それに気がついた経営者はきっとチャンスのシグナルを感じたと同時に貧乏くじを引いた気分だったのではないだろうか。特に既存の価値観が確立していた組織であれば、ドラスチックな引き算をすることになり必然的に怨嗟の声を浴びることが確定しているわけだから。

 

「個」の在り方についても言及されていたが、恐らくこれこそがインターネットが人や社会の在り方に与えた一番大きな変化だったのだと思う。

 

個というと個人プレーの個を想像しがちではあるが、組織の中の個となど個の在り方はその環境によって異なる。どのような形で個が新しい社会に適応していくか、きっとそれは十数年経った今でも様々な場所の課題で恐らくきっと答えがあるものではないのではないかとも思う。

 

インターネットが持つレバレッジによって「個」が力を持つようになり、様々な分野でその姿を見ることがあるが過去十数年続いた確変のような時期がこれからも継続していくかといえばそれは誰にも分からない。

 

世界的にインターネットへの規制が始まり、以前のように爆発的な成長の話はきっと少なくなるのではないかと思ってはいるものの、車社会が馬車の時代に戻らないようにインターネットが普及した世の中も昔に戻ることはないだろう。

 

ただ、インターネットによってこれからも既存の価値観が破壊され続けて新しい時代が到来したとしても、自分が作り出した「フランケンシュタイン」の姿に怯える人間の姿は変わらないような気がする。

 

それは古今東西「作り出す」という能力を与えられた人間の業のようなものできっと避けられないことなのではないだろうか。

フランケンシュタイン (新潮文庫)

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