ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

エロスとタナトスと文章を書くこと

年の瀬。

 

慌ただしい年の暮れという意味があるそうだが、今年の年末はそれなりにバタバタしていた。「ツケの支払い」が語源でもあるそうだが来年からは今までに溜めにためたツケの支払いをするはめになりそうだ。

 

今年最後は「文章を書くこと」で締めくくろうと思う。

 

なぜ文章を書こうと思ったのだろうといつも思うことがある。今までの人生を振り返っても本を読むことはあるものの、本が積みあがるほど読書にのめりこむほど本を読んでいない。

 

大学生の頃は暇を持て余していたので漫画喫茶に入り浸っていて、「ここにある漫画を全部読んでやろう」と謎の目的意識を持ちながら漫画を読んでいた。ただ、それでもいわゆる活字本を読むことはなかった。読んでも頭の中に言葉が入ってこなかったのだ。漫画は絵で文章を補完してくれているので理解できたことも大きかったのかもしれない。

 

その漫画でさえもいつの頃から読まなくなった。インターネットの回線が高速化してそこでできることが増えて段々とパソコンを触る時間が増えたこともあったし、社会に出ると空想に耽溺するよりも目先の問題に対処する時間が劇的に増えたことで、漫画どころではなくなったことも大きかった。

 

そういう経緯があるので文章には本当に縁がなかったし、読書家だったり文章のセンスがある人を見ると今でも感心する。

 

文章が上手い人間に関して自分の中で一つの基準があって、音楽の歌詞を理解できる人は文章のセンスがある人だと思っている。カラオケに行った時に中島みゆきの曲を歌っていた友人が「この歌詞はいいんだよなあ」みたいなことを言っていて、当時音楽はメロディとリズムしか聴いていなかったので、歌っている人は音ゲーのように適当に言葉を当て込んでいるものとばかり思っていた。

 

歌詞にメッセージがあることを理解できるようになったのは30代に差し掛かるころだったかもしれない。それまで言葉はいつも霧のようにぼやけていて、よく日常生活を送れていたなと自分でも感心する。

 

文章に対する感覚が以前よりも鮮明になったのは、やはり「死」の存在が身近に数多く姿を現したことが大きかったのでのではと感じている。

 

心理学者のフロイトの話に「エロス」と「タナトス」というものがあるそうだ。

 

エロスは「生」への欲望で、タナトスは「死」への欲望ということだそうだが、生活や生きる手段に文章を選択する人は「タナトス」が強めな人が多かったので興味を抱いたことがあった。

 

例えば小説家の芥川龍之介太宰治三島由紀夫も「死」への距離がとても近くて、文章を生業にする人が自ら自分の命を絶っていたり破滅的だったりするのはなぜだろうとその共通点について考えていた。もちろん文章を書く人間が全員が全員そうではないが。

 

文章というくくりにするとざっくりとしすぎだが、「ロジック」重視な考え方をする人と置き換えるともっとしっくりくるような気もする。数字を扱うような税理士、会計士、エンジニア、プログラマといった職業についている人も、傾向としては血色が悪くて死にそうな人が多かった。

 

そういえば、苫米地英人が出ていた何かの番組をyoutubeで見ていたときに、一流のプログラマ自閉症紙一重でほっておくとすぐ自殺してしまうので自身の会社ではカウンセラーが職場に常駐しているようなことを言っていた。コンピューターのプログラマーというのは21世紀の文豪なのかもしれない。

 

ロジックを追及すると何かを積み上げているように見えて実は死への距離を縮めているのではと考えるようになった。例えるなら効率を最高に突き詰めると自殺するのが最も効率がいいみたいな。

 

 エントロピー増大の法則というものでは、自然現象は乱雑な方向または「無秩序」へと向かっていくものと説明されているらしい。生命活動は「秩序」を作り出すためこのエントロピーの法則に反しているということだそうだ。


乱雑さに耐えきれなくなった精神が、ロジックを通して秩序を形成したいと欲したことが文章を書くことを促したのだろうか。ロジックは確かにゴミ屋敷のゴミのように積みあがった情報を整理するのに便利なツールではある。

 

タナトスがあるということはその反対にエロスもあるのだが、何かの雑誌でヨシダナギという女性カメラマンの人の特集に興味深い内容があった。

 

アフリカに取材に行った際に、現地で牧歌的に暮らしている現地のアフリカ人から「考えてはだめだ」と言われたそうだ。現代人は「考えること」を様々な理由から強いられて当たり前になってしまっている訳だが、旧来の生活様式の中で本能的に暮らす人には「考えること」が有する弊害が何か見えているのかもしれない。

 

確かに何も考えなかったときのほうが世界が無限に広がっている感じがしたし、考えることによって情報を整理し尽くしていくと最後に残るのは「ああ、こんなものだったのか」といった落胆だったりすることはある。

 

キリスト教徒ではないが、知恵の実を食べて楽園を追放された人間の話は年を追うごとにその意味を実感せざるを得なくなる。

 

「考えること」と「考えないこと」、「エロス」と「タナトス」のバランスをどうやって上手くとっていくかが来年からの課題かな。

 

来年はよい年になりますように。

人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫)

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