ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

ポル・ポトと機械学習の過剰適合

大学生の頃だろうか、一時期「チェ・ゲバラ」のTシャツを着ている人を街中に多く見かけた。


レイジアゲインストザマシーンといった政治色の強いバンドが流行っていたこともあったのだろうか。

 

自然に「共産主義」というものに関心を抱く事になるのだが、学生運動などで活動した世代とは違い「失敗した概念」としての実例が既に確立していたのでのめり込む事はなかった。


そうはいいながらも、どういうものかについての関心は残っていたと思う。なぜなら、「みんなが平等に幸せに暮らせる社会」を標榜する思想な訳で、それで済むならそれに越したことはないという気持ちはあったからだ。

 

様々な共産主義のアイコンの中で「チェ・ゲバラ」以外で目を引いたのは「ポル・ポト」だった。


万を超える自国民を虐殺。インテリ層を「文字が読める」「眼鏡をかけている」といっただけの理由で処刑し、「大人は信用できない」という理由で子供を医者に仕立てあげるなどそのエピソードは狂人そのものだった。

 

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ポル・ポト - Wikipedia

 

「ヤバイやつも世の中にいるもんだな」

 

当時はそれくらいの感覚だった。


それから、インターネットが発達し情報取得が容易になり改めてポル・ポトについて調べていて驚いたことがあった。


それは、これだけの虐殺行為を指導したポル・ポトは温厚な人間で、取材した西側のジャーナリストも善人と認めるほどだったという。

 

極悪非道で私利私欲のために暴虐を振るう悪人を想像していたので意外だった。

 

自分自身が極端な人間なので、いいことも悪いことも結局の所極端な人間にしか学べないといった気持ちもあったし、なぜそんな人物があのような愚行に至ったのか興味が湧いたので調べてみた。

 

 

ポル・ポトとは「Political Potentiality(政治の可能性)」という意味で「サロットサル」が本名だったという。

 

話だけ聞いていていたらパッとしないものの、もし、日本の首相が「田中」とかではなく「政治の可能性」と名乗り始めたとしたらその異様さが分かるだろう。


彼を語る上で外せないのが、国民に向けられた独特の「詩」である。

 

我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである
したがって伝統的な形をとる学校も病院もいらない。貨幣もいらない
たとえ親であっても、社会の毒と思えば微笑んで殺せ
今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる
泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ

 


その文面はまるで感情のないロボットが出力したようだった。


昨今人工知能が話題になっているが、機械学習に関連する言葉に「過剰適合」または「過学習」というものがある。


人工知能がお手本となる学習モデルを過剰に学習すると、「未知のデータ」すなわち「現実」から出力値が大きく乖離するというものだった。

 

過剰適合(かじょうてきごう、英: Overfitting)とは、統計学機械学習において、訓練データに対して学習されているが、未知データ(テストデータ)に対しては適合できていない、汎化できていない状態を指す。汎化能力の不足に起因する。

 

その原因の一つとして、統計モデルへの適合の媒介変数が多すぎる等、訓練データの個数に比べて、モデルが複雑で自由度が高すぎることがある。不合理で誤ったモデルは、入手可能なデータに比較して複雑すぎる場合、完全に適合することがある。

 

過剰適合 - Wikipedia

 

難しい内容でよく分からなかったが、要約すると「学習しすぎて的を外してしまう現象」ということのようだ。


その話を知って「まるで人間みたいだ」と思ったが、人間をモデルに構築しているからそうなんだろうなとも思う。


ポル・ポトの場合、「原始共産主義」という全く差別のない原始時代のような理想の世界を学習モデルとして過剰適合した結果、現実と大きく乖離してしまったということなのだろうか。


考え方はいいのになぜ上手くいかなかったか理由をいつも考えるが、一つの仮説として「人間」というものについての要件定義が不十分だったのではないかと考える。

 

原始共産主義の思想では、人間は条件さえ整えば素晴らしく振る舞える生き物といった解釈で定義されているが、人間に本質的に内在されている、嫉妬、怒り、悲しみ、欲望、怠惰など人が見たがらない側面に対する定義が全く盛り込まれていなかったのだと思う。

 

結果的に「要件定義にそんなものはない」と人間が本来持っていて人間の本質でもある「不合理」を排除する遊びのないシステムになったのが崩壊の要因だったのではないだろうか。

 

人間が使うシステムである以上、人間を理解できないといいシステムはできないのではないかと思う。ただ、自分の事もよくわからないのに人間を理解できるのかという疑問はある。

 

理想社会は概念の中にしか存在しないのだろうか。それよりも概念を捨てて現実を直視する力をつけるのが最短距離なのか。

 

真面目な人間は無害だが、真面目をこじらせると下手な悪人より有害なのか。


今は「ほどほど」にその答えを見出しているが、それもまた極端なのかな。

ポル・ポト―ある悪夢の歴史

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