ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が色々なことを調べています。主なソースはWikipediaです。

ベンサムの功利主義とパノプティコン。そしてミシェル・フーコーの「監獄の誕生」

インターネットの恩恵を受けている昨今、iPhoneの生みの親なら「スティーブ・ジョブズ」、ワールドワイドウェブ(WWW)の生みの親なら「ティム・バーナーズ・リー」などシステムの元となる人物に関心を抱いてしまう。

 

では、それらを活用する現代の社会システムの生みの親は誰なのだろうか。自分はジェレミ・ベンサムにその姿を見てしまう。

 

ジェレミ・ベンサム功利主義

 

ジェレミ・ベンサム」は19世紀に生きていたイギリスの哲学者であり法学者だ。彼の功績で一番有名なものに「功利主義」がある。その考えの根底には「最大多数の最大幸福」がベースにある。

 

功利主義を考えるにあたって「トロッコ問題」がよく引き合いに出される。

それはこんな話だ。

 

ある日トロッコが暴走して制御が効かなくなる。トロッコの進路の先には分岐があり、片方には5人の作業員がいて、もう片側には1人の作業員がいる。どちらに舵を切っても作業員は必ず犠牲になってしまう。

 

このような極限状態でどちらの判断が「最大多数の最大幸福」なのだろうか。

 

そして、こんなことばかり考えているベンサムが発明したものにパノプティコンがある。それは、巨大な円形の刑務所で中央に巨大な監視塔があり、収容者同士はその姿を見ることができない。しかし、看守からは全ての収容者の姿が筒抜けになっている。

 

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「社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である」

 

「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」

 

 

ベンサムは社会の幸福を願ってこのシステムを作り上げた。それは、当時の刑務所の劣悪な環境を改善したいという思いからだったそうだ。

 

そして、パノプティコンの概念は軍隊、学校、工場、病院など他のシステムへと転用されていった。

 

つまり、現代の社会システムは「刑務所」または「監獄」から大きな影響を受けているということだ。

 

ミシェル・フーコーと監獄の誕生

 

フランスの哲学者ミシェルフーコーは、自著「監獄の誕生」においてパノプティコンについて触れている。そして、監獄を維持するファクターとして「規律」「訓練」にフォーカスしている。

 

規律、訓練を身近な事例で例えるならば、学校で行われる「整列」「前ならえ」などの集団統率行動がある。明治維新以後日本は西洋的な教育を施したが、江戸時代の寺子屋などの時代の教育を受けた人間は並ぶことができなかったという。

 

そして、それは身体的な規律のみならず精神的な規律も生み出す。フーコー人道的観点から身体対する刑罰から精神に対する刑罰へ移行した」という。

 

多くの人間は「学校」をとおして規律、訓練を学ぶ。そして、そのシステムとの親和性が高ければ高い人ほど「パノプティコン」の姿が表面に現れてくる。その精神の奥底に打ち込まれた楔はなかなか外すことができない。

 

例えば、

 

「規律でがんじがらめで嫌になった会社を転職したものの同じような場所に転職してしまっている」

 

「自分でもいつのまにかあんなに嫌だった刑務所のようなシステムを作ってしまっていた」

 

 

まるで、帰巣本能のように「監獄」が眼の前に再現されると「またか。。」と一種の絶望感すら感じてしまう時がある。「鎖につながれた象は、その鎖が外されても今までと同じ場所をグルグル回ってしまう」とはよく言ったものだ。

 

監獄のよい面

今までは「監獄」の持つ負の側面についてフォーカスしてきたが、「最大多数の最大幸福」を考えられてつくられた監獄にはプラスの側面ももちろんある。

 

「規律、訓練」を受け入れる代わりに監獄は、衣、食、住を提供してくれる。実際に勤め人を辞めると「毎月一定額の生活費」が振り込まれるありがたさを実感できる。

 

しかし、あくまでも「最大多数の最大幸福」のためのシステムなので、最大多数に入れない場合はその恩恵を受けることができない。そして最大多数の人数が年々変化しているような気もする。

 

「病院で生まれ、学校で教育を受け、工場で働き、病院で息を引き取る」という一生の流れを考えると、ゆりかごから墓場まで監獄から逃げようがないことがわかる。

 

監獄との向き合い方。

AIが中央の監視塔に据えられる日、きっと嫌でもそれを考えざるを得なくなるのだろうか。