ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

ウンコちゃんの家具屋さんと社会の了承コードの話

「ウンコちゃんの家具屋さん」という屋号のお店がある。

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Googleの検索窓に「うんこ」と入力していたら発見した。

書店で「うんこ漢字ドリル」のようなものを見かけることがあるが流行っているのだろうか。

 

www.unkochan.com

 

 

攻めている感じがすごくて、色々と調べていた。

nlab.itmedia.co.jp

 

社訓は「ウンコブリブリ」だという。

現代の経済活動の大部分は蛇足であると意訳してみる。

攻めている。

だんだん、隠れキリシタンのようにトイレに駆け込んだ小学生時代を思い出す。

 

ふと、自分の中で思い浮かんだ「うんこ理論」が頭をよぎる。

それは、話や文章が面白い人は「うんこ」の話をどこかで挟んでいるというものだ。

いくつか今まで発見した例を挙げてみる。

 

今は故人となってしまったが将棋棋士米長邦雄という人がいた。変わりもので有名であるが、彼の書いた本を読んだ際、印象に反してとても知的で美しい文章を書く人物だと思った。そんな彼もTwitterでうんこについてツイートしていた。

 

 

 

さくらももこさんもエッセイを読むととても文章が上手い人だなと思った。彼女もうんこの話をよくしている。


ちびまるこちゃんの話の中で、ある日クラスの片隅にうんこが落ちていて、先生がクラスのみんなに「恥ずかしいことではないから名乗り出なさい」と優しい声をかける場面があった。

 

先生の提案に対しての「これ以上恥ずかしいことはめったに見れるものではない」というまる子のツッコミが「本当だな」とすごい納得させられた記憶がある。

 

 新聞紙上で短歌の評論を書いている「穂村弘」さんも、自身の短歌の中でうんこを詠んでいる。

初見で衝撃を受けて、どんな人物なのだろうと彼のインタビュー記事を読んだことがあるが、イメージに反して大変な読書家で思考の深い人物だった。「自分はゆるそうなイメージを持たれるが実は緊張をしている」ようなことをどこかで書いていて、うんこと緊張の関係に興味を持つ。

www.webdoku.jp

 

「うんこ」という単語は一般的な社会生活では、汚らしいもので、一種のタブーであり、社会の了承コードの外にある言葉だ。例えば会社の取引先を目の前にして「うんこ行ってきます」とは言えない。「トイレへ行ってきます」と言う。それをおおっぴらに使うためには、「そういう人だからしょうがない」という認識を社会から持ってもらう必要がある。

 

そして、ただ連呼すればよいわけではなく、使うタイミングを読む力も要求される。


つまり、人並み以上にTPOをわきまえているからこそ、うんこと言っても受け入れられているのだと思う。


ジミー大西さんのように素でやっているような人もいるが、実は周りは気が付かないだけで彼自身の中ではものすごい緊張している可能性もある。

 

自分自身でも以前勤めていた会社の激務によって、「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」のような問いがなぜか頭に浮かんでいた時期があった。思索にしろ、環境にしろ極限状態のとき人はうんこを思い浮かべるのだろうか。つまり、極限まで物事を突き詰めると「うんこ」という一つの解に帰結するということだ。

 

あとは、「クソ」という言葉をよく使う人がいるがここからも様々なメッセージが読み取れるのではないだろうか。「クソ」という言葉は「うんこ」を悪く言っているものである。「うんこ」=「汚いもの」=「自分より弱いもの」という図式を使うと、その人の弱いものに対する姿勢が見えてくる。優しい人は「クソ」ではなく「うんこ」を使っている人が多かったような気もする。

 

気がつくと一時間近くうんこについて書いている自分は一体なんなんだろう。

 

全然ウンコちゃんの家具屋さんと関係ない話になってしまった。


とりあえず彼らは攻めている、緊張している、そして社会の了承コードに勇気をもって風穴を開けたのだ。

 

おしまい。

 

日本一楽しい漢字ドリル うんこかん字ドリル 小学1年生

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