ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)の活動日記です。お金と愛が不足しています。

禅寺の生活。隻手の声と盲目と無音と

昔、禅寺の宿坊へ2泊3日で体験修行をしに訪れたことがあった。

それは11月のこれから寒くなるような時期だった。

 

f:id:yonaosix:20180629203838p:plain

 

「靴をそろえて下さい」としょっぱなからダメ出しをされる。

 

そこでの生活では正座をする時間が多く設けられていた。

現代人の自分にはそれが一番の苦行だった。

 

一緒に参加していた外人は慣れない姿勢に「オー」と悶絶していて、少しシュールだった。

 

食事も質素なものでお米と少々のおかずと味噌汁を食べる。

最後はたくわんとお茶で器を洗いその食器を使い続ける。

 

住職は洗剤を使わない。

洗剤を使うことが頭に刷り込まれていた自分にとってはそれは新しい発見だった。

日々使っているものの中には使わされているものが多いということなのだろう。

 

薪を割り、その木をくべて風呂を沸かす。

日頃、ダダ流しで使っているお湯を自分の手で作り出すには大変な労力が必要なことが分かる。

自分の手で沸かした温かい風呂に浸かり、外の生活の自分は文明の利器によって知らず知らずのうちにのぼせていたのだと変な考えが頭に浮かぶ。

 

座禅も行う。

しかし、短い期間だったので座禅の本当の意義をその当時は理解していなかったと思う。

今は少しだけ分かる。

 

夜中にお寺の住職と談話をする時間があったのだが、

そこで禅の「公案」というものを教えてもらう。

いわゆる禅問答というやつだ。

 

「隻手の声」と呼ばれるものだったが、

「両手を叩くとパンッと音がするが、片手ならどんな音がするのか?」

なぞなぞのようなその問題についてその場では答えが分からなかった。

 

そして、宿坊生活が終わり文明世界へと戻ると、そこで学んだ謙虚な気持ちなど忘れ去って洗剤を使い、風呂のお湯をジャブジャブ使い、靴を揃えることもなくなった。

 

そして、文明の利器である「インターネット」で隻手の声の答えを知り、その答えの内容に「あー」とは思ったがその真意については理解できないまま時が過ぎる。

 

欲望にまみれ、自己破壊を繰り返す生活をそれからずっと続けていたが、ある日家でテレビをつけていたら聴覚障害視覚障害を持つアスリート夫婦のドキュメンタリーが放送されていた。

 

soar-world.com

 

そこで、ご夫婦の日常が淡々と映像で流れていた。

お二人にはお子さんがおり、目が見えない奥さんはその中で器用に料理などをこなし子育ても行っている。

 

多くの現代人が様々な理由でできないと感じていることを、ハンディを抱えた彼らは淡々とこなしている。なぜそんなことができるのだろうと驚きを感じた。

 

そして、隻手の声の答えの本当の意味を理解する。

目が見えなくとも、耳が聴こえなくとも彼らには見えているものがあり、聴こえているものがあるということだ。

 

「障害者」と聞くと身体的な不具を抱える人を指すものであるとばかり思っていたが、五体満足でありながら彼らが見えていて聴こえているものが分からない自分こそが「心の障害者」だったのだと気がつく。

 

隻手の声が聴こえる時、初めて世界に色と音がつくのだろうか。

日々その日が来ることを待ちわびている。

禅 (ちくま文庫)

禅 (ちくま文庫)