ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

ワールドカップセネガル戦と「論理」と「感情」

ワールドカップが開催された。

 

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サッカーは正直なところJリーグ開幕以来あまり見ていない。

余談だが最近の若い子はアルシンドがなにか知らないようだ。「アルシンドになっちゃうよー」が自身の悩みになる年齢にいつの間にか達していたことに感慨深さを感じる。

 

本筋に戻る。では、なぜサッカーをあまり見ていないのか分析したところ、

90分間じっとしていられないからだと気がついた。途中で飽きてしまうのだろう。

 

しかし、飲み屋でサッカーを見ているとなぜか90分見れてしまう。

 

多分、サッカーというスポーツは無秩序すぎて何が起こっているのか分からないところを、詳しい人があれがどうとか解説してくれるので空白が補完されるからなのだろうか。

 

そして数日前、深夜に飲み屋でそのサッカーを見ていた。

すると、そこで直近で開催されるセネガル戦の話題になり議論が起こっていた。

 

議論の内容はとてもシンプルで、

 

「日本がセネガルに勝つか負けるか」というものだ。

 

勝つ方の主張は「過去にも多くのチームが大番狂わせを起こし勝ち進んだ実例がある」というものだ。

 

負ける方の主張は「データ的に日本が勝つのは難しい」とロジック立てて説明している。

 

あまり、サッカーに興味がないので選手がどうこうとかチームがどうのといった先入観がなくただただ聞いていたら「どちらの主張も間違っていない」ことに気がつく。

 

恐らく現実的には「日本が勝つのは難しい」がやや優勢だったのだと思う。なぜなら、その賭けに相手が乗らなかったからだ。勝つことを主張していた人はサッカーのことに詳しいからこそ、現実もよく理解していた。

 

では、なぜあのような議論が巻き起こったのか。それは「勝つか負けるか」ではなく、サッカーというスポーツの存在について語られていたからだった。

 

たとえば、ロジック立ててデータに基づき勝率を計算する場合、それはサッカーというスポーツの「構造やルール」の範疇で語られている。「ルールや仕組み上はそうだよね」ということだ。

 

しかし、きっとそれだけではサッカーというスポーツはルールとしては成立するが、スポーツとしては成立しないのだと思う。なぜなら、常にデータに基づいて勝敗が決まっていたら予定調和しか起こらずつまらないものになり、極端な話結果だけ見ていたらよいのだから。

 

多くの人がスポーツを見る理由は熱狂にある。熱狂はどこに起こるかといえば、「分からない未来」に対して起こる。つまり、不確実性の中に起こるともいえる。

 

負けると思っていたものが勝つという「不確実性」が人の魂にバイブレーションを起こさせる。そして、そういったものが心の片隅にあるからこそ人はスポーツに魅入られるのではないだろうか。

 

つまり、あの二人の会話は一見同じテーマについて語られているように思えたが、「視点」がまったく異なっていたのだ。

 

「論理」と「感情」がバランスをとってサッカーという競技を成立させており、なにかこう物事の根源を垣間見た気がする。

 

「サッカーは無秩序の中の秩序」と日本が勝つことを主張している人がこぼしたが、いい言葉だと思う。

 

 だけど、家だとサッカーが見れないのは相変わらず治らない。