ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)の活動日記です。お金と愛が不足しています。

キャッシュレス社会は金銭に対する感覚をますます麻痺させるのではないかと思った

公開していたAmazonほしいものリストでアマゾンギフト券をもらった日、嬉しくて朝まで寝れなかった。

 

そして、色々考えた結果ほしいものリストを公開するのをやめて過去の記事も消してしまった。

 

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「こんな遠足の前日のような日が続いたら不眠症で死んでしまう」

 

と思ったからだ。

 

もらっておいて大変失礼な話だが、金額は「500円」とそんなに大きな金額ではない。しかし、ただの数字の羅列ではなく「現物」でもらうと、「もらった」という実感がありありと感じられて10万円銀行振込されるよりもはるかにありがた味があった。

 

なんというか「リアル」なのだ。

 

封筒を開封する作業から、目に飛び込んでくるギフト券の装飾と「500」という数字、そして手に持ったときの紙の手触り。それは500円であって500円ではなかった

 

自分の描いた謎の絵や駄文に何かしら感じた人が、自分のお金を費やしてAmazonで商品購入ボタンをポチッと押してくれた。それだけでもすごいことなのだが、さらにその商品券を運ぶために宅配便のドライバーさんまで動かしてしまっているのだ。

 

もうなんというか、申し訳ないという気持ちしかない。

 

Adsenseアフィリエイトの数字の羅列とはまた違った感覚。給料の銀行振込のときでも味わったことのない感覚。大人になってから初めてかもしれない。

 

あの商品券は使わずに神棚に飾っておこうと思う。

 

今回の件でネット漬けの日々の中、知らず知らずのうちに麻痺してしまっていた自分の感覚に気がつけたことは良かったと思う。

 

話は変わるが、最近キャッシュレスへ移行するのが世の中のトレンドみたいになっている。

 

多分、消費スピードは向上して、経済の循環には大きな影響を与えると思う。今もすでに半キャッシュレス社会にはなっているが。

 

キャッシュレスでは日本の一歩先を行く中国は、お年玉を電子マネーで払うのが流行っているらしい。

 

お年玉っていうのは「のし袋」に入っていて、開封する瞬間がとても楽しかった記憶がある。あの時も「五感」を使って「もらった」という感覚を全身で味わっていたような気がする。あのときも嬉しかったなあ。

 

だから、お年玉を電子マネースマホゲーのような感覚でもらうようになったら、どんな感性になってしまうのかは少し興味がある。

 

話をまとめると、金銭に対する感覚が希薄になると、きっと「感謝」という感情が同じくらい希薄になっていくのではないかということが言いたかった。なぜなら経済活動が日常生活の大部分を占めるため、次第に思考がそれに順応していくからだ。

 

これからはそういう流れがどんどん加速していくだろうし、止められないし止まらないだろうなあ。