ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)の活動日記です。お金と愛が不足しています。

カワイイという名の暴力

飲み歩いているとたまにとてもかわいい女の子に出会うことがある。目がぱっちりとしていて、鼻筋がとおっていて、笑顔がかわいかったりする。

 

やはりそういう子と話をするととても嬉しい気持ちになる。

 

かわいいとは果たしてなんなのだろうか。赤ちゃんに対して使うかわいいと、女の子に使うかわいいは意味合いが違う。

 

女の子に対して使う場合も、顔がかわいいのか、愛嬌がいいのか、フォルム的なものなのか統一感がない。

 

平安時代の日本人の美人顔はおたふくのような顔だというから、その当時の人はそういう子をみたら「いとなまめかし」と言っていたのだろう。

 

かわいいとはなんなのかいまいちよくわからない。

 

女の子はファッションやらメイクやら肌のお手入れの話をよくしているが、心からそれをしたいと思っているのかそれとも周りや世間がそれを要請しているからしているのか疑問に思うことがある。

 

なぜならそれらは時間もお金もかかるし、本来であれば他の趣味同様生活上必要がないといえば必要のないものだ。それにあそこまで情熱を注ぐというのはよっぽどの理由があるのではないかと思ってしまう。

 

一つ考えられるメリットは、かわいいことには「人の注目を集める力」がある。そして、やはりかわいい子は人から優しくしてもらえたり色々と優遇してもらえる。

 

もっといえば、かわいいは「力」だ。そして、世間一般でいうメイクやファッションで向上させるかわいさとは「暴力」なのだと思う。男で例えるならば筋トレや格闘技をすることに相当する行為なのではないだろうか。

 

女の子がよく「メイクやファッションは男のためにするんじゃない」と言うことがあるが、社交上の処世術として解釈すれば整合性がとれる。

 

目には見えない高度な心理戦がメイクやファッションとして顕在化していると考えると、バトル漫画のようでとてもワクワクしてくる。

 

「かわいいはつくれる」というキャッチコピーは作ってまでかわいくないと生きづらい世の中への皮肉が含まれていたのかもしれない。

 

 

暴力の人類史 上

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