ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)の活動日記です。お金と愛が不足しています。

ワールドカップセネガル戦と「論理」と「感情」

ワールドカップが開催された。

 

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サッカーは正直なところJリーグ開幕以来あまり見ていない。

余談だが最近の若い子はアルシンドがなにか知らないようだ。「アルシンドになっちゃうよー」が自身の悩みになる年齢にいつの間にか達していたことに感慨深さを感じる。

 

本筋に戻る。では、なぜサッカーをあまり見ていないのか分析したところ、

90分間じっとしていられないからだと気がついた。途中で飽きてしまうのだろう。

 

しかし、飲み屋でサッカーを見ているとなぜか90分見れてしまう。

 

多分、サッカーというスポーツは無秩序すぎて何が起こっているのか分からないところを、詳しい人があれがどうとか解説してくれるので空白が補完されるからなのだろうか。

 

そして数日前、深夜に飲み屋でそのサッカーを見ていた。

すると、そこで直近で開催されるセネガル戦の話題になり議論が起こっていた。

 

議論の内容はとてもシンプルで、

 

「日本がセネガルに勝つか負けるか」というものだ。

 

勝つ方の主張は「過去にも多くのチームが大番狂わせを起こし勝ち進んだ実例がある」というものだ。

 

負ける方の主張は「データ的に日本が勝つのは難しい」とロジック立てて説明している。

 

あまり、サッカーに興味がないので選手がどうこうとかチームがどうのといった先入観がなくただただ聞いていたら「どちらの主張も間違っていない」ことに気がつく。

 

恐らく現実的には「日本が勝つのは難しい」がやや優勢だったのだと思う。なぜなら、その賭けに相手が乗らなかったからだ。勝つことを主張していた人はサッカーのことに詳しいからこそ、現実もよく理解していた。

 

では、なぜあのような議論が巻き起こったのか。それは「勝つか負けるか」ではなく、サッカーというスポーツの存在について語られていたからだった。

 

たとえば、ロジック立ててデータに基づき勝率を計算する場合、それはサッカーというスポーツの「構造やルール」の範疇で語られている。「ルールや仕組み上はそうだよね」ということだ。

 

しかし、きっとそれだけではサッカーというスポーツはルールとしては成立するが、スポーツとしては成立しないのだと思う。なぜなら、常にデータに基づいて勝敗が決まっていたら予定調和しか起こらずつまらないものになり、極端な話結果だけ見ていたらよいのだから。

 

多くの人がスポーツを見る理由は熱狂にある。熱狂はどこに起こるかといえば、「分からない未来」に対して起こる。つまり、不確実性の中に起こるともいえる。

 

負けると思っていたものが勝つという「不確実性」が人の魂にバイブレーションを起こさせる。そして、そういったものが心の片隅にあるからこそ人はスポーツに魅入られるのではないだろうか。

 

つまり、あの二人の会話は一見同じテーマについて語られているように思えたが、「視点」がまったく異なっていたのだ。

 

「論理」と「感情」がバランスをとってサッカーという競技を成立させており、なにかこう物事の根源を垣間見た気がする。

 

「サッカーは無秩序の中の秩序」と日本が勝つことを主張している人がこぼしたが、いい言葉だと思う。

 

 だけど、家だとサッカーが見れないのは相変わらず治らない。

 

いつの間にか50記事目

はてなブログダッシュボードを見ていたらいつの間にか「49記事」も溜まっていた。読者数も13人になっていた。

 

内情の吐露と、自己顕示欲の発露の場と、ちょっとしたお小遣い稼ぎを目的で開設したブログだったが、始めたことで色々なことを経験したような気がする。

 

振り返って一番驚いたことは何かといえば「読んでくれている人」がいたことだった。初めは壁に向かって一人で話すような感じだったが読まれていると気がつくと少し心境に変化が起こる。

 

この訳のわからない文章を読んでくれている人は、懐の深いナイスガイでありナイスレディだと思う。

 

今回は50記事目。

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なんについて書こう。。

 

。。

 

。。

 

今日は趣向を変えて読み手を意識して見ようと思う。

 

ネタがないので、

タイトルを「ヨナオシクス」にした理由について綴ってみる。

 

ヨナオシクスにした経緯。

それは、「世直しをもじってよなおしくすにした」という訳ではない。

 

タイトルを決めるにあたって、まったく存在しない言葉にしようと思いつきで

決めただけだった。

 

ただ、文字数については昔読んだ日本マクドナルドの創業者の藤田田氏の発言を参考にしている。

 

藤田田氏は日本語の研究が趣味だったそうで「タ・タ・タ・タ・タ・タ」というリズムが日本人好みであると分析していたそうだ。そしてマクドナルドを日本で出店するにあたり、当初ネイティブな英語では「マクダーナル」のところを、日本語の語感に合わないと「マクドナルド」にしたという話を聞いて感銘を受けた記憶がある。

 

以上の理由から「6文字」のタイトルにすることが決まる。

後はランダムにGoogleに文字を打ち込んで検索にヒットしないものを探した。

 

それで、適当に文字を打っていたら「よなおしくす」がヒットする。

 

ひらがなではなくカタカナにしたのは昔「レミオロメン」というバンドがいて、MTVかなにかのインタビューを見たら彼らのバンド名も特に意味がなく適当につけていたと言っていたからだった。

 

こうして、まったく意味のない単語「ヨナオシクス」ができあがる。

 

まったく存在しない意味のない単語に意味が発生する過程をまじまじと見ていると、「名前は後からついてくる」と言っていた人の話を思い出す。

 

意味がないところに意味を見い出す能力。

きっとこのブログを読んでくれている人にはそれがあるのではないかと思う。

Googleの崇高な理念と情報の中立性

Googleといえば今では老若男女国籍問わず(使えない国もあるかな。。)世界規模で日常生活において切っても切り離せない検索ツールとなった。

 

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一番初めにGoogleの存在を知ったのは中学生の頃だっただろうか。Netscapeなんてものがあった時代、学校の授業でコンピューターに触れた際に「ここに文字を打ち込むと検索ができる」と先生が切り替えた画面に映し出されたのが赤青黄色で装飾された「Google」という文字列だった

 

それ以来大学生までパソコンとは疎遠な生活を続けていたものの、音楽制作に使えると聞いてからADSLの登場でインターネット回線が高速化した時期にパソコンを使い始めた。

 

当時は分からないことは全てGoogleで調べていた。

それ以来、かれこれ10年弱「Google先生」にはお世話になっている。

 

Googleという会社には当初崇高な理念があった。

Googleが公開している資料にもそれは明記されている。

 

Google について:


Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること
です。

Google の創設者であるラリー ペイジとサーゲイ ブリンがその使命を達成する最初のステップとし
スタンフォード大学の寮の部屋で始めたオンライン検索への新しいアプローチは、世界中で情報
を検索する人々の間に急速に広まりました。1998 年の創業以来、検索エンジンの操作性と品質向
上に注力し、現在、Google は、簡単な操作で数分の一秒の間に関連性の高い検索結果が得られ
る世界最大の無料検索エンジンとして広く評価を受けています。 

 

引用元:

http://www.sneed.co.jp/docs/Google09610.pdf

 

 

 

「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」

というとてもシンプルな目的に沿って出来上がった検索エンジンGoogleなのである。

 

創立当初のGoogleには広告がなかった。

どの本だったか失念してしまったが、Googleが経営上の必要性から広告事業に乗り出す際に創業者のラリー・ペイジセルゲイ・ブリンが躊躇したという話を読んだことがあった。

 

その理由が当初掲げていた理念に対して「中立性を損なう」からだったそうだ。

 

結果として広告事業はスタートし、リスティング広告などが検索時に頻繁に表示されるようになった。

 

なぜこの話を書いたかといえば、最近のGoogleの検索は検索結果に偏りがあって、新しい情報ばかりが上位に表示され古い情報にアクセスしずらくなっていると感じるからだ。

 

もちろん、広告以外にSEO対策などによって恣意的に上位表示されるような試みがなされていることも要因の一つではあるとも思う。

 

つまり、ビジネスとしての利用が促進されてしまったことで、Googleの当初の理念は形骸化してしまったのではないかということだ。

 

そこに、昔は若く理想に燃えた優秀な先生が年を取り、世間の手垢がつき、世の中の道理に迎合してしまったかのような寂しさも感じられる。

 

広告を載せてしまう自分もそこに少し後ろめたさを感じてしまう。でもお金欲しいし。。

 

まあ、形はどうであれ「Google先生」にはこれからもお世話になることには変わりはない。

 

そういう意味では自分の中では一番長い付き合いの先生なのかもしれない。

 

(この本だったかな。。)

アルゴリズムが世界を支配する (角川EPUB選書)

アルゴリズムが世界を支配する (角川EPUB選書)

 

 

闇金ウシジマ君の作者がドラえもんに影響を受けている件

闇金ウシジマ君という漫画がある。

 

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かわいらしいロゴが表紙を飾るものの、それを無視するかのようにその内容はグロテスクでありとても「リアル」である。

 

ストーリー自体は街の金融業者である丑嶋馨(うしじま かおる)」が、自身が経営するカウカウファイナンスへ金を借りに来る債権者へ取り立てをするとてもシンプルなものだ。

 

金を借りに来る客の職業や特徴毎に章立てされていて「フリーターくん」「サラリーマンくん」「ホストくん」「トレンディくん」など「くん」づけで彼らを呼んでいる。ただ、この「くん」は親しみをこめた「くん」でないことは自明である。

 

この漫画がナニワ金融道ミナミの帝王など他の金貸し漫画と異なる点は、人物描写の緻密さとその周辺環境の生々しさにある

 

「うわ、これ自分じゃん」とこの本を読んだ人の中には自分の事を描かれていると感じる人がいるほどだ。

 

自分自身フリーターくんの気持ちが痛いほど分かり、彼と同じセリフを言っていたことがある。サラリーマンくんの悲哀も理解できる。トレンディくんは掃いて腐るほど目にしたし、ホストくんのような職業の人も身近にいる。

 

ただ、この作品は絶望だけではなく、時折一筋の「希望」を持たせて終わることがある。その一筋の希望が不思議ととても明るく見えるのである。

 

例えるなら真っ黒に染めた紙に一滴の白い絵の具を垂らすと、それはなによりも白く見えるかのように。

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では、本題に入ると闇金ウシジマ君の作者は幼少期にドラえもんを読んで感銘を受け漫画家を目指した」Wikipediaで読んだことがあり、当時作品をパラパラとしか読んでいなかったためその理由が分からなかった。

 

 

「あの重苦しい作品のどこにドラえもんの要素が。。」

 

 

しかし、最近その理由がやっと分かる。

ヒントはドラえもんの話の一つにあった。

 

 

作中、ドラえもんがとある事情で未来に帰らないといけなくなってしまう。日頃ドラえもんに助けられてばかりの、のび太くんは未来に帰るドラえもんに心配をかけないようにとジャイアンに秘密道具を使わず立ち向かう。

 

結果的にのび太くんはジャイアンにボロボロにされてしまうのだが、ドラえもんはその奮闘を「よく頑張った」と涙を流して褒め称えながら二人で家路に着くといったものだった。

 

ウシジマくんもドラえもんと同じように、素のままの自分に自信のないのび太くんのような人々が「博打」「女」「男」「洋服」「ステータス」など自分を強くしてくれる秘密道具に頼るところから物語は始まる。

 

ドラえもんと違うのは現実の秘密道具は「金」がかかる。

結果としてそれらを維持できなくなった彼ら債権者は「ウシジマくん」という名のドラえもんに秘密道具を買う金を無心する。

 

しかし、ドラえもんが未来に帰ってしまうように、ウシジマくんも最後は彼らへの貸付を止め貸した金の回収に入る。

 

尻の毛も抜かれてしまうほどに彼ら債権者は何もかもを失ってしまうが、それと引き換えに「ありのままの現実」に向き合う力を手に入れる。

 

ドラえもんがポケットから取り出すど派手な秘密道具や、ウシジマくんの血に濡れたグロテスクな描写につい注意が行きがちになるが、両作品が伝えたいメッセージは実はここにあるのではないだろうか。

 

見たくないものに目を向けるためには、一度全てを失わないと気がつかないということかな。。

 

どちらも人の弱さと強さを描いた傑作だとは思う。

 

闇金ウシジマくん 43 (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん 43 (ビッグコミックス)

 

 

 

スティーブ・ジョブズがiPadに唯一入れていた「あるヨギの自叙伝」を読んだ書評

時価総額世界一の企業Appleの創業者であり、MacintoshiPhoneなどを世に送り出したスティーブ・ジョブズとはどんな人物なのだろう。

 

そのスティーブ・ジョブズiPadに唯一入れていた電子書籍が「あるヨギの自叙伝」だったそうだ。

 

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スティーブ・ジョブズにまつわる数々の伝記は出版されているが、それらは彼を外側から見た姿であり彼が何を考えて何を見ていたのかを知ることはできない。

 

ドラッグや禅などに傾倒していたそうだが、インドに憧れを抱いていた時期もあったそうだ。しかし、実際にインドを訪れたスティーブ・ジョブズは抱いていたイメージと現実のギャップに幻滅してすぐに帰ったという話をどこかで読んだことがある。

 

「あるヨギの自叙伝」これはインドの話だ。この本はある場所の書棚に収まっていた。当時は関心があったが何分500ページほどある分厚い書籍であったため手にとったものの読むことはなかった。

 

しかし、最近1日1食に凝りだした際に読んだ、食べないで生きている女性の本の中でも「あるヨギの自叙伝」のタイトルについて触れられていた。

www.yonaosix.com

 

「点と点が線でつながる」とはスティーブ・ジョブズ氏の至言のひとつだが、「あるヨギの自叙伝」の中にこれらの超常現象の秘密があるのではないかと一つの仮説がひらめく。

 

そして、あの分厚い本を改めて読むことにした。

 

ネタバレしない程度のざっとした内容紹介をすると、近代の西洋に「ヨガ」を初めて紹介したヨガナンダという人の幼少期からの自伝だ。

 

腕を切り落とされた行者が次の瞬間ケロケロしているといったファンタジー要素が所々散見されるが、キリスト教イスラム教、科学や哲学など様々な分野の知識を用いて精神世界と物質世界を説明している点はとても新鮮だった。

 

一つ気になった点は、インドの科学者であったチャンドラ・ボースという人物について触れられていた章があり、彼の主張の中に「無線の電波機」の話があったことだろう。

 

もしかしたら、スティーブ・ジョブズiPhoneの構想はここから来ているのではないかと妄想が膨らむ。

 

Appleは製品開発を行う際に市場調査を行わず、「人間が使いやすい」ことを突き詰めているらしいが、そういった「人」を主眼に置いた設計思想はこのような内観の世界から生み出されているのではないだろうか。

 

本全体としてはとても冗長で長いため、面白いかといえば個人的にはそこまで面白くはなかった。しかし、この中から必要なものを汲み取る能力がある人にとっては有用な本だと思う。

 

もし、超常的な何かに興味がある方は是非一度読んでみられてはいかがだろうか。

 

あるヨギの自叙伝

あるヨギの自叙伝

 

 

どうやら梅雨入りしたらしい。梅雨の由来。

どうやら梅雨入りしたらしい。

夏到来の予感。

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まとわりつくような湿気によって明らかに体調に変化が出てきた。鬱々とした気分になる。

 

多分自分は雨に弱い。ポケモンのような話だが雨に弱いと思う。特に気温が高い時期の雨には目眩を伴う独特の気持ち悪さがある。

 

精神と肉体両面に著しい被害を持たらす梅雨。

 

そういえば梅雨はなぜ梅雨というのだろうか。

 

つはい、Wikipediaだよ。

梅雨 - Wikipedia

 

漢字表記「梅雨」の語源としては、この時期はの実が熟す頃であることからという説や、この時期は湿度が高くカビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説、この時期は「毎」日のように雨が降るから「梅」という字が当てられたという説がある。普段の倍、雨が降るから「倍雨」というのはこじつけ(民間語源)である。このほかに「梅霖(ばいりん)」、旧暦5月頃であることに由来する「五月雨さみだれ)」、の実る頃であることに由来する「麦雨(ばくう)」などの別名がある。 

 

だってさ。

 

五月雨ともいうらしい。そういえば最近ネットで中学生のフォークシンガーが話題になっていたが、彼の曲のタイトルが「五月雨」だったなあ。

 

www.youtube.com

 

もうすぐ6月ですね。

 

~了~

女の子にディズニーの何がいいのかを聞いて分かったこと

ある日、知り合いの女の子が「ディズニーの映画が好き」と言っていたことがあった。

 

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「アリエルが一番好き」とも言っていた。洗剤のような名前だが、リトルマーメイドという人魚が出てくる作品の主人公だ。

 

「そういえば、女の人ってなんかディズニー好きだなあ。なんでだろ?」と長年感じていた疑問が湧いたのでなぜディズニーが好きなのかをその子に聞いてみた。

 

ミッキーのシルエット

なんの本だったかな。多分80%の確率で友達からもらった関暁夫の本に「ミッキーのシルエットはち◯こに似ている」みたいなことが書いてあった。

 

サブリミナル効果で知らず知らずのうちにミッキーに劣情を抱いていたのではないかと仮定してミッキーについて質問をした。ダイレクトに聞くわけにもいかないので、

 

「ミッキーは?好き?」と。

 

すると、「私が興味があるのはお姫様でミッキーには興味がない」ということだった。

 

つまり、ミッキーは野球でいうところのドアラトラッキーといったマスコットキャラで、お姫様はメッセンジャークロマティのような助っ人外人選手のポジションであることが推測できた。

 

あくまでゲームの主人公はお姫様で、ミッキーは賑やかしのポジションだということだ。

 

皇后様もお姫様だよ

 

「ディズニー=お姫様=助っ人外人」の公式が出来上がったので、さらに掘り下げて質問を行った。

 

天皇陛下は好き?皇后様もお姫様だよ?」と。

 

すると、「夢と冒険がない」と一蹴された。

 

時代が時代なら不敬罪で処刑されそうなものだが、ただお姫様であるだけではだめで、そこには「夢と冒険」という前提が必要だそうだ。

 

お姫様なら無条件になんでもいい訳ではないことが分かった。

 

話をまとめると

 

つまり、女の子がディズニーの何に魅力を感じているのかをまとめると、

 

「ミッキーはただのマスコットキャラで、メインはお姫様。ただ、お姫様だったらなんでも良いわけではなく夢と冒険といったワクワク感が必要」

 

ということなのだろう。

 

今回サンプルが一人なので偏った調査内容になってしまったが、いずれ追加で調査してみようと思っている。

 

ハハッ