ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)が様々なことを調べています。主なソースはWikipediaとYoutubeです。

星の王子さまと「見えないものを見る力」

星の王子さま」という本がある。

 

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サンテグジュペリというフランス人が書いた本で、学生の頃親戚のおじさんに読んでみることを薦められた記憶がある。当然読まなかった訳だが。

 

 

ここ数年の個人的な自由研究が「なぜ金持ちなのに不幸そうな人がいる反面、金がなくてもよろしくやっている人間がいるのか」だった。なぜこんなことを執拗に調べていたのだろうか。

 

きっとそれが理解できないと、この先何をしても自分の中の問題が根本から解決しないと思ったからだろう。

 

もちろん全ての金持ちが不幸な訳でもなく、金がない人間が必ずしも幸せではないのだが。

 

そんな話をダラダラ飲みながら延々と話をしていた際に、彼らに足りなくてかつ足りているものは「見えないものを見る力」という話になったことがあった。

 

すごい漠然とした響きの言葉の羅列だったのだが、なぜか変に納得するものがあった。そして、後日「星の王子さま」が「見えないものを見る力」をテーマにした本だと知る。

 

大人になって読むと色々と気づきのある本だと思った。

 

特にお気に入りのエピソードにこういうものがある。

 もしあなたが大人たちに対して、
「バラ色のレンガでできた、とても美しい家を見ました。窓にはゼラニウムの花が飾ってあり、屋根には鳩がとまっていました」
と言っても、大人たちはそれがどんな家なのかまったく見当もつきません。


その代わりに、あなたがこう言ったとしましょう。
「一億二千万の家を見ましたよ」
すると、彼らはこう言うでしょう。
「それはさぞかし素晴らしい家だったでしょう!」

 

自分の日常会話を活字にして読んでいるようで思わず笑ってしまった。

なぜなら、自分は「一億二千万」側の人間だったからだ。

 

 

お金持ちなのに不幸そうな人も、同じように数字でしか物の価値を認識できない人が多くて、逆にお金がなくてもよろしくやっている人間は家の造形をきちんと認識できるような人だった。

 

 

もっといえば「見えないものを見る力」というのは、「相手の立場で物を考えることができる力」ではないかと思う。「一億二千万の家」があってもこれがないときっと良好な関係性は維持できなくて不幸を感じやすくなるのだろう。

 

 

とはいえ、「家の美しさ」ばかり見て金勘定しないとそれはそれで問題なので、そこそこ金勘定ができるのが前提ではある。「家の美しさ」が見える人にも見えないものは存在するのである。

 

 

意外にここら辺のバランス感覚が絶妙な人ってあまりいないなと思った。「幸せ」とはこの「見えないものを見る力」のバランスをとることなんじゃないかと最近は思っている。

 

ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~

ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~

 

 

金森重樹著「お金の味」の思い出

数年前、仕事を辞めて家でテレビを見ていた。

 

特に目的もなくチャンネルを切り替えていたところ、東大出身の多種多様な職につくゲストを年収毎にピラミッドの階層に席を割り当てて紹介していく番組が目に止まった。

 

東大生といえばエリート街道まっしぐらといったイメージがあったものの、中には芸人を目指して貧しい暮らしをする人、タクシーの運転手をする人、ラーメン屋を開業している人など必ずしも年収が高いわけではないようだった。

 

しかし、ある程度ピラミッドの階層が上がると弁護士、医者、テレビ司会者など数千万単位の年収を稼ぐ人間がラインナップしていた。

 

そのピラミッドの頂点に座っていたのが「金森重樹」なる人物だったのだが、フリーターをしていた際1億近い借金を背負ったものの、そこから事業を起こして借金を完済し富裕層に成り上がったとのことだった。

 

毎月1千万を積立貯金して、高い服も時計も買わず、危ないから飲みにも行かないと言う。そして、番組の終わりが近づくと「借金がある中で結婚してくれた嫁に頭が上がらない」と号泣していた。ド派手な金持ちの真逆をいく人物でとても印象的だった。

 

番組中、彼の言葉で特に心に響いたのは「人間が転ぶのは色(異性関係)、金、名誉(見栄?)」というものだったのだが、親類が商売に失敗した話を小さい頃からおとぎ話のように聞かされて育ったので、その要約された3文字は多くの謎を解く鍵となり目から鱗だった。

 

後日、金森氏は本を出している事を知り購入する。

タイトルは「借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記」だった。

 

内容を端的にまとめると、なぜ日本の最高学府である東大を卒業してフリーターになったのか、そしてなぜ1億円の借金を背負ってしまったのか、そしてどうやってそれをリカバーしたのかだった。

 

本書の中で特に注目したのは、彼が借金を背負ってから同じように債務を抱える人々にインタビューをしてなぜ失敗したのかを研究していた点にあった。

 

多くの人は「どうやったら成功するのか」を模倣しようと必死に努力するが、「どうして失敗するのか」については全く研究していない。

 

成功体験は模倣しようとしても模倣できるものではないが、失敗体験については模倣するつもりはなくても勝手に模倣してしまうのはとても不思議だと思っていた。

 

「色、金、名誉」

おかしくなっていく人間の周りには確かにこれらの影が常にちらついていた。

 

お金持ちになった今はどう考えているのだろうか。

 

彼の配信するメールマガジンも購読しているが、「幸せ」についても研究しているようなことが一時期書いてあった。

 

どん底とてっぺんを経験した人物の考える「幸福論」は一体どのようなものなのだろう。

 

最近も色々あったようだが、倒れても倒れても立ち上がるその姿勢にはただただ「すごい」と思ってしまうし、何かをしようという気持ちにさせてくれる。

 

最近の自分の「成功」の定義は「破滅をしないこと」なので、どうやったら達成できるのか試行錯誤している。

 

今でも「お金の味」は数少ない蔵書として部屋に置いていて、たまに読み返して参考にしている。 

借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記

借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記

 

CoCo壱番屋の中毒性から思うこと

ココイチのカレーを久しぶりに食べる。

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カレーとしては1000円前後と値段はそこまで安くはなく、味もおいしいもののそこまで印象的という訳でもないのに、ふとした瞬間に「あ、なんかココイチ食べたいな」と思わせる不思議な魅力がある。

 

ある時期まで、「1300gのカレーを20分以内に完食したら無料」というチャレンジ企画を実施していて、友達が嬉々として完食したことを語っていた。今はそれがないことを知って少し寂しい気持ちになった。あったとしてもやらないが。

 

ココイチの特色としては客がトッピングを選べて、ご飯の量、スパイスの辛さを選べる点にあるとは思う。こうかゆいところに手が届くというか。

 

卓上にスパイスが備え付けてあるので、わざわざお金を出してスパイスを足す必要はないのではないかと思っているのだが、もしかしたら厨房で足されるスパイスと卓上のスパイスはクオリティに差があるのかもしれない。

 

他にもカレーチェーンはたしかにあるが、ココイチのカレーは確かに高い分おいしいと思う。ただ、高いからしょっちゅうは通えないものの思い出すと行くので、同じような感じのリピーターは結構いるのではないだろうか。

 

あの中毒性の理由をたまに考えていたのだが、創業者の「宗像徳二」という人物のエピソードに味の秘密があるのだと思った。

 

親に捨てられ孤児院で育ち、とある家の養子になるも養父がギャンブル中毒で経済的に困窮した幼少期を送っていたそうだ。

 

飢えをしのぐために雑草を食べたり、パチンコ屋でシケモクを拾って生活を支えるなど不遇な少年時代を送っていて友達もいなかったという。

 

そんな境遇にありながらも、自身の父親を嫌っていたわけではないと述べている。

 

カレー屋を始めたきっかけというのも、勤めていた不動産屋を脱サラし不動産業を始めるもののあまり上手くいかず、収入を補填するために始めた喫茶店で奥さんが出したカレーが評判になったからだという。

 

カレー屋一本で行くと決断した後、元々の不動産業は閉めて信用金庫から借り入れを行うのだが、そこで借り入れしたうちの20万を社会福祉協議会に寄付している。これから、金が必要になるだろうタイミングでなぜそれをしようと思ったのだろうか。

 

宗次徳二という人物はあまり社交的ではなかったようで、飲みにいって交友関係を広げることもせず、遊びにもいかず、毎日早朝に「お客様アンケート」に目を通し、夜はひたすら深夜まで働きずめるような生活をしていたそうだ。それを社交的な奥さんが埋めてバランスをとっていたのだろう。

 

 

ココイチの中毒性の理由は彼の言葉の中に凝縮されている。

systemincome.com

 

 

そこには、「スキ」が全くないのだ。

 

ただただ、「お客様」がどうしたら満足するのかを偏執的ともいえるボリュームで突き詰めていて、それは彼の抱える底知れない深い闇の裏返しなのではないかと思ってしまうほどだった。

 

インテルの創業者も「偏執狂は生き残る」という言を残しているし、アマゾンのジェフベソスも顧客のクレームは逐一目を通していて、気になったら関係部署に「?」とメールを送っていたそうなので共通する何かがあるのだろう。

 

今はマルチに色々なことをやることがトレンドとなっているが、マルチにやって成果に結びつけることができるのは一つの適性で才能だと感じている。

 

もし、それができない場合どうすればいいのだろうと考えたことがあったが、きっと全てを捨てて「選択と集中」を極限まで突き詰めるしかないのだろう。上手くハマればこれ以上ないショートカットだし。

 

余談だが、お金儲けに成功した人達と会って気がついた共通点が一つだけあって、それは「人のせいにしない」ことだった。

 

それを選択したのも「自分」だし、うまく決断できなかったのも「自分」だし、上手く立ち回れなかったのも「自分」だと彼らは理解していて、上手く行かなくてもそれ以上のサービスを提供するという前向きさがあったような気がする。

 

彼も自分の境遇を親のせいにしないし、サービスが悪かったらそれ以上のものを提供しようとしていてすごいなと思った。

 

なんで、あの環境であんな聖人のような人間が生まれるのだろう。

 

ココイチの中毒性の理由は「居心地」にあるのだろうか。

 

今日のココイチもおいしかったな。

CoCo壱番屋 カレー鍋スープ 750g×2本

CoCo壱番屋 カレー鍋スープ 750g×2本

 

 

内省力と多様性

ある時期、「内省力」という単語を目にしたことがあった。

 

「ないせいりょく」と読むのか「ないしょうりょく」と読むのかいまだによくわからない。

 

なぜこの単語を知ったのかは理由が分からないが、たまたま何かを調べていて関連するワードとして目に止まったのだろう。

 

Googleの検索窓に「内省力」と打ち込むと次のページが出てくる。

 

www.cc-creators.com

 

すごいよくまとまっていて、読んでいていてなるほどと思わせるものがあった。

 

内省とは外側の動きではなく、自分の心の内側の動きにフォーカスする技術のことで外的刺激の多い世の中では見落としがちなものだと思う。

 

なぜ、これに辿り着いたのかきっと自分に足りないものがそこにあったからだとは思う。

 

それをよく説明されている部分を引用したい。

 

Aさんという人は、仕事を一生懸命やって、会社や上司から評価されているとします。Aさんは周りから十分評価されて、結果も残してきているにも関わらず、まだ足りない、まだ足りない、ともっともっとがんばっていてます。時には頑張りすぎの結果、体調を崩すことさえあります。

 

こんなAさんの内側を紐解いてみると、評価される=自分の価値が出せる、という構図があります。そして、その奥には、自分は価値がない(能力がない、無能だ)という無自覚な思い込みがあることがあります。

 

その無自覚な思い込みを払拭するために、がんばって結果を出すわけですが、無自覚であるがゆえに、その思い込みを刺激されることが起こると、価値を出せてないと本人が感じ、心が働き(焦りや怒りなどの感情を感じ)、価値を発揮するためにもっとがんばらないと、と思考が回り、結果、同じパターンが繰り返されます。(※私も同じ思い込み、持ってますー 笑)

 

以前、個人的に抱えていた「酒の飲み過ぎ問題」の原因分析を行っていた際、頻繁に姿を現した「ナルシシズム」のメカニズムともよく似ている。

 

特に今は「視覚優位」になりがちな世の中なので、もし自分の中が外の情報で一杯になったときは「目をつぶって呼吸に集中する」といいと瞑想の本にも書いてあった。目をつぶることで意識を内側に引き戻すことができるそうだ。

 

もう一つハッとさせられた点が昨今よく目にする「多様性」と「内省」が深く結びついているという説明だった。

 

また、引用する。

 よく、ダイバーシティーの話で、多様性を受け入れよう、という話がありますが、本質的には、多様な自分自身の内側を受け入れよう、そうすることで、外側の他者も受け入れる器ができる、ということだと思います。これが内側と外側が連動している、という意味でもあります。

 

つまり、多様性とは外側の問題ではなく内側が外側に反映された結果成立するという説明がなされている。

 

なんとなく思い当たる節がある。

 

多様性といえば、ある日Youtubeでカラオケ屋にボルダリングを設置している店舗の宣伝動画を見つけたことがあった。

 

www.youtube.com

 

すごい斬新で、「多様性ってこういうことなのかな」と思ったことがあった。

 

ただ、カラオケを歌うだけでもどんな曲を歌うかで気を使うのに、そこにボルダリングフュージョンさせたら一体どんなことになるのだろう。

 

最初は誰かが歌を歌っている間、フリースタイルでトリックを決めたりする人が出てきて「ギャハハ」とか笑ったりしているのだろうか。

 

そのうち飽きてくるか、「カラオケを数曲歌ったら次はボルダリングタイムだからその間は歌うたうのやめてボルダリングしようね」みたいな意見が出てきたりするのだろうか。

 

そうなってくると、雀の涙ほどの自分の内省力はきっと「めんどくさい」に負けて場からフェードアウトしていくに違いない。

 

多様性は「場」があって初めて成立するものだと思っているので、やはり不自然な多様性は勝手に自壊していくのではないだろうか。

 

それはそれで自然な姿だから、カラオケはカラオケ、ボルダリングボルダリングで元の姿で棲み分けされて平和な気もする。

 

「多様性を実現する=内省力を高める=個々が自分の器を広げる」という図式があるのであれば、このカラオケボルダリング問題を解決する唯一の手立ては「相手とよく話合う」しか思い浮かばない。

 

もし、これで解決しなければ棲み分けするしかないだろうし、こんな話がきっと世の中にはごまんとあるからいつもどこかで揉めているのだろう。

 

やっぱり内省力を高めるには「時間」が必要だと思うし、それ相応の時間を考慮に入れないと長期的には多様性は絵に描いた餅になるんじゃないかな。

 

まずは、ラーメン屋の行列に並んで「あー、隣の客がうるさい」「早く列進まないかなー」といった雑念を受け入れるところから内省力を高める練習をしている。

世界の多様性 家族構造と近代性

世界の多様性 家族構造と近代性

 

未来工業と信じる力

岐阜に「未来工業」という名前の電気設備資材を扱うメーカーがある。

 

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特にド派手な製品ではないものの、残業なし、年間休日140日、全員正社員雇用、副業OK、ホウレンソウなしを実現している夢のような会社だと思った。さらに経常利益も10%台と利益もきちんと出ているそうだ。

 

 

その存在を知った当時、こんな世界もあることに衝撃を受けた。

 

 

「うらやましい」と。

 

 

そして、それからというものなぜこれが成立するのか考えていたことがあった。

少し思うところがあったので備忘録代わりにまとめてみようと思う。

 

売上、粗利

 

まず、企業活動を成立させるためには「売上」「粗利」を確保することが大前提となる。当たり前の話だが、これがなければ就業条件以前の話で会社が潰れてしまう。

 

電気設備資材といった本来であれば利益率の低い製品で利益を出すには「差別化」が必要となる。ただ、未来工業の場合はプロダクトアウトではなく、実際にそれを使っているユーザーの声を取り入れた差別化を行っていたようだ。

 

実際に意匠登録件数もソニー東芝といった大企業を抑える数を出願しており、その数字が製品が持つ競争力を裏付けているともいえるのだろう。

 

製品に付加価値をつけた上で生産調整もしっかり行っていたようなので、値崩れによる利益率の下落に対して対策が行われている。

 

あと気になったところは営業所が多いことだろうか。

営業方法もきっと何か工夫をしているのだろう。

ノルマも禁止らしい。

 

下請けの仕事はしなかったのも良かったのだろう。

当たるまでが大変だとは思うが。

 

 

仕入れ、経費

 

原材料の仕入れについては分からなかったが、多分きっと何かしらの工夫をしているのだろう。

 

経費についてもシビアに管理していて、コピー機は本社に1台だけ、電気もこまめに消すといった習慣でコスト意識を高めるおまじないをかけていたようだ。会社の金だと思うと雑に使ってしまいがちになるのは人間あるあるだと思う。

 

改善提案

 

改善提案はメーカーであれば多くの会社にあるものだが、大抵賞をとるような内容でないとお金がもらえない。

 

未来工業の場合はどんな内容でも提出したら必ず「500円」くれるそうで、金がもらえるとなったら進んで案を出すだろう。これが意匠登録件数などその他もろもろの業務改善の源泉になっていたのだろう。

 

実際「ああすればいいのに」と働いて思っていることは結構あるものの、どうせ言っても何の得にもならないと黙っているケースは多くあるものだ。それが案外コストが漏れてる要因になっていたりするので、それを500円で解決できるのだから考えようによったら安いものだと思う。

 

残業、休日、給料、年功序列

 

残業なしと休日多めにはメリットは多いと思う。

 

「人間疲れるとろくなことを考えない」と思っているし、10時を超えたあたりとかはほとんど頭が働いていないのであまり効率がよくない。

 

休みが少なくても同様に心が荒んで、「なぜ生きているのだろう?」と哲学の巨人に変貌するので「離職」という考えが頭をよぎりあまりよくない。

 

逆に暇すぎても同じ考えが浮かんでくるので、人間はわがままな生き物だと思う。

 

それに、工場なんて稼働したら電気代とかも馬鹿にならないだろうし、生産調整できるのであれば稼働日数を減らした方が経費も浮くだろう。

 

給料について思うことは、人は能力差による給料の差異は案外すんなりと受け入れるものだ。

 

むしろ、給料の比較にあたっては社内の人間よりも、自分と同世代の同じバックグラウンドを持っている社外の友人と比べるため、相場よりもちょっと高いくらい給料をもらっていて、休みも多かったら「まあ、こんなものかな」と満足するのである。ほとんどの人間は自分の価値を相対化するから。

 

全員が全員ハイサラリーを追い求めるわけではないし、家族持ちになんかなったらもっとリスクは取りたがらないだろう。優秀な人材だからみなリスクを取りたがるかといえば、実のところそうでもない。むしろ、優秀だからこそ先読みするのでそれが顕著だったりする。

 

年功序列で安定が確保できるのであれば、それで充分ではある。

 

全員正社員雇用

 

未来工業は全員正社員雇用だという。売上350億円で700人くらいと言っていたが、中小企業の規模だからできたというような事についても触れていた。大企業になると色々と法的な制約が大きくなるので逆に難しくなるのかもしれない。

 

企業が正社員雇用を躊躇する理由は、金がかかるのと「なかなか辞めさせることができない」に尽きるだろう。

 

また、業種によっては波があるので人件費を調整できない正社員よりは、派遣や契約社員を活用したいのは分からないでもない。

 

自身の体験を振り返ると派遣や請負の人の方が場馴れしていてハングリーな分、正社員より優秀な人が多かった気がする。ただ、そこには壁があったと思う。

 

正社員でそんなに給料をもらっているわけではないものの、「正社員はいいですね」みたいなことを派遣や請負の人にはよく言われた。まあ、頑張っても給料が上がらなければそうなるのは自然なことだと思う。


働く環境に階層が多すぎると、人間の持つ「嫉妬」や「見下し」などの不必要な感情が発生して意思疎通を阻害して効率が悪くなるという点はあるような気がする。定量的に数字だけ見ていたら気がつかないことでもあるが。

 

間に色々業者が入ることで中間マージンが発生する訳だから、それなら全員正社員で雇えば面接の手間とか省けるしメリットもあるのだと思う。あまり、外注をかませすぎると「不具合」「リコール」「品質低下」のリスクも増えるし。


上手く回らないので平社員は今度は上長の文句を言って、上長は役員の文句を言って、役員は社長の文句を言って、社長は「なんで数字がよくならないんだ」と怒号を飛ばすという負のスパイラルがそこにはあった。もはや、個人がどうのというよりも構造上の問題だと思う。



副業の許可

 

休日が多くて、残業もないときっと「暇になる」。

 

暇になると人間ろくな事を考えない。



「自分はもっとできるんじゃないか?」みたいな。



組織の看板を背負っているから成立しているという事実がすっぽりと頭から抜けて。



同業他社の仕事以外の副業に限って副業を認めれば、そういった考えが改まっていいのではないだろうか。上手くいったらそれはそれでいいだろうし、いかなかったらいかなかったらで自分に足りないものを知るよい機会になるし。



ホウレンソウの禁止

 

大体、どこの企業でも導入されている「報告、連絡、相談」を略した「ホウレンソウ」だが、巨大な企業では必要かもしれないがフットワークが必要とされる企業では非効率だと思う。

 

この概念を提唱した企業が倒産したという話を聞いて、なんだか意味がよく分からなかった。

 

社内で掲げている標語が「常に考える」だそうだが、ホラクラシーやティール組織のような概念の先駆けといってもいいだろう。



経営者像

withnews.jp

 

元々劇団員をしていたそうなので、「人間」をよく見ていたのだと思う。

 

今振り返ると理想主義者というよりかは、どちらかといえば超がつく「現実主義者」だったのだろう。現実を突き詰めていった結果理想社会を構築した好例だと思う。



「えさ」という言葉をよく使っていたようだが、人間が持つ「嫉妬」「怠惰」「不満」といった感情を様々な工夫を通して前に進む原動力に変えていく技は経営というよりも芸術に近いものがある。



例えば、経営者がいい車を経費で落として乗ったりしていたら税金面で得をして金の面では問題がない訳だが、それを傍から見た人間からは頭で分かっていても余計な感情を生むのを分かっていてそういうこともしなかったという。



とはいえ、変な「平等主義者」という訳でもなく、むしろ競争を排除しようとする世の中の方が問題があると言っている。



今なら少しだけ分かるが、この会社の手法だけを真似しても決して同じようにはならなくて、良い部分も悪い部分も含めて人間を「信じる」というコアがないと器だけの空っぽなものになってしまうということだ。



多くの人は思想信条やテクノロジーといった「概念」を世の中を良くしてくれるものとして信じているが、肝心の眼の前にいる人間という「不合理」な生き物を信じていないことに最近気がついた。

 

もし、概念がそれを阻害するのであれば、そういったものは自分からどんどん排除していった方がいいと思っている。

 

もっといえば眼の前に対峙している人間は自分の鏡写しだから、「自分」を信じていない裏返しでもあるのだが。

 

ラーメン屋の行列に並んだだけで薄れてしまう「人間を信じる気持ち」をどうやったら保てるのだろう。

 

頭で分かっていてもすんなりいかないのが、人間らしさだからまあいいかな。

 

大きいことを考える前に一人目の前の「人間を信じるところ」から始めよう。

 

 

お金持ちの気持ちと貧乏人の笑顔

「もっと給料の高い仕事がいい」

 

「もっと年収を上げないと」

 

「もっとお金が欲しい」

 

「お金で全ては解決できないけど、95%くらいの悩みは解決できるんじゃない?」みたいな話を職場の人と喫煙所で話していたあの頃。

 

「お金」が頭の中を占有していた時期があったが、ふと「お金持ちを目指しているものの、そういえば実際のお金持ちってどんな気持ちなんだろう?」と疑問を抱いたことがあった。

 

美味いものを食べて、いい女を抱いて、いい車に乗って、パーティーをして、旅行をして、好きな時間に起きて寝て、と頭の中で作り上げられた「お金持ちイメージ」はあったものの、実際の金持ちに会ったことはまだその当時なかった。

 

しかし、長年フラフラ生きているとベンチャー企業の社長やちょっとした有名人に出会うこともある。

 

若いとやはりお金と体力が有り余っているので、パーティーや酒やと遊び倒しているのだが、あまり心の底から楽しんでいるような感じでもなさそうだった。

 

「死にたい」「羨ましい」とも言われたこともあるが、「いや、こっちが死にたいし羨ましいんだが」と言っている意味がよく分からなかった。

 

一代で富や名声を得た人には「訳ありの人間」「コンプレックスの強い人間」が多かった気がする。会った範囲内の話だから全てがそうだとは言い切れないが、会社経営者の伝記にもそんな話は多かった。

 

そういう気持ちが強いからそれをバネにしてのし上がったというのはあるのだろう。もし、満たされていたらそんなことする必要はないのだから。

 

心の中の渇望感を上を目指すことで埋めてきたものの、上に上がってそれが満たされたら心の中にぽっかりと穴でも空いてしまったのだろうか。

 

お金持ちにならなければその気持は分からないのだろうけど、「なんか思ってたのと違うな」とそこまでお金持ちになりたいとは思わなくなっていた。

 

もし、自分がお金持ちになったらどういう人間になるのだろう。きっと今までの反動で人の頬を札束ではたくような人間になる予感がする。キャッシュレス社会になったらその心配はなくなるのでとても良いことだと思う。

 

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別の日には、「貧乏人」の姿を見る。

 

地べたに座って他のホームレス仲間と酒盛りをしていて、手にしているのはカップ酒で上等なものではないのだがなんか楽しそうに談笑していた。

 

「なぜこの状況で笑っていられるのだろう」というのが率直な感想だった。

 

ただ単純に酒を飲んでたからだったのかもしれないが。

 

クレイジージャーニーに出ていた「名越啓介」というカメラマンも、フィリピンのゴミ溜めのようなスラムで暮らしている子供達が笑っているのを見て「なんで笑っているのだろう」と似たような感想を抱いたと言っていた。

 

今でも歓楽街で身なりのいいおじさんが、この世の終わりのような暗い顔して歩いているのを見ると、「なんで笑ってないんだろう」と思ってしまう。

 

「笑顔」ってなんなんだろう。

 

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ブルース・リーとチャウシェスクの落とし子

数年前、「クレイジージャーニー」という番組でルーマニアの地下道に住むストリートチルドレンを取り上げていた。

 

マンホールの下の地下世界は注射針やシンナーなどが散乱し、多くの地下住民はHIV保有者だったという。彼らは歴史上有名な「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれるストリートチルドレンだった。

 

そこで、住人を統率していたのが、鎖を体に巻き、自傷痕が至るところに見える「ブルース・リー」という異形の人物だった。それは、まるで北斗の拳の世界が現実に飛び出してきたかのようだった。

 

ブルース・リー」という名前はもちろん映画スターのブルース・リーに影響を受けてつけたものだったという。

 

www.youtube.com

 

彼はドラッグを売買して得た金で他の住人の面倒を見ていたという。

 

地上に家を建設していて、ゆくゆくはそこに地下世界の住人を連れ出して暮らしていくと夢を語る場面で番組は終わっていた。

 

当時、番組を見て思ったことは「なぜこの環境でこんな聖人のような人間が生まれるのだろう」といったものだった。身の回りでも劣悪な環境にスポイルされる人間を多く見ていたのでとても不思議だった。

 

このストリートチルドレンを生み出したルーマニアとはどのような国なのだろうか。

 

ルーマニアといえばベルリンの壁が崩壊する1989年まで「チャウシェスク」という共産主義の独裁者が支配する国だった。

 

 

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元々チャウシェスクは反ファシストのアイコンとして共産主義活動に従事していた。政権を握ってからは独裁者へと転身し、共産国でありながら西側諸国とも交流を持つなど外交手腕に長けた人物だったようだ。

 

ただ、中国共産党と接点を持ったあたりから文化大革命などに次第に影響を受けるようになる。妻であったエレナ・チャウシェスク毛沢東の妻であった江青に憧れを抱いており背中を後押しされ政治の世界に足を踏み入れるようになる。

 

ちなみに、江青といえば文化大革命を実質的に主導した人物であったが、毛沢東と結婚するにあたり周恩来などの側近が「政治に参加させてはいけない」と進言していたという。そして、結果としてそれは正しかったようだ。

 

エレナ・チャウシェスクが政治に参加することで、その子供好きな性格が仇となってしまう。避妊と堕胎を禁止して5人以上の子供を生むことを義務化したことにより、育児放棄する者が後絶たず多くのストリートチルドレンを生み出してしまった。

 

また、孤児院に預けられた子供達は栄養状態に恵まれなかったため病気がちであり、子供を死なせると孤児院の給料を減らされることから大人の血液が輸血されたという。結果としてエイズに羅患する子供達が増えるなど悪夢の連鎖が続いていく。

 

バランス外交を上手く行っていたチャウシェスクだが、経済発展のために西側諸国から巨額の融資を受けその返済に窮したため、国内の経済政策がガタガタになり国家の破綻へとつながっていった。

 

チャウシェスクの話は高校か大学で知っていたが、「チャウシェスクの死」でルーマニア共産主義の話は幕を引いたのだと思っていた。しかし、二十数年後に登場したこの「ブルース・リー」のエピソードの中に本当の終わりがあったような気がした。

 

前回ポルポトの記事を書いていて「原始共産主義」について調べていた際、赤旗に投稿されたとあるQ&Aを見つけた。

 

原始共産制とは?

 

そこには原始共産主義についてこのような説明があった。

 

数百万年に及ぶ人類の歴史のなかで、支配する者と支配されるものの区別ができたのは、最近のほんの数千年の間のことにすぎません。それ以前に存在していた階級のない社会を、史的唯物論の立場から原始共産制の社会と呼んでいます。

 この段階では、社会全体の生産力が低く、みんなが力をあわせて働かなければ生きていけなかったために、「共存共栄」の関係にならざるをえませんでした。原始共産制の社会は、「共存共栄」の思想によってではなく、人々が生活していくうえでの客観的な条件によって生み出されたものです。

 

原始共産主義なんていうものは夢物語だと思っていたが確かに存在したのだと思う。

 

しかし、それを体現していたのは共産主義のリーダーではなく、その失策で生み出されたストリートチルドレンだったのだ。

 

ただ、その共存共栄の世界は思い描いていたような明るいものではなく、マンホールの下の薄暗いドラッグとHIVが蔓延する地獄の中にあったということなのだろうか。 

 

その後「ブルース・リー」は番組放映後間もなく逮捕され、地下世界は閉鎖され地上に建設されていた家も壊されてしまったという。

 

そこに人間がいる限り楽園は顕在しない。なぜなら「楽園」とは、その存在を夢想した人間が、おのれの生息範囲であるこの糞溜め=現実を裏返してみただけの反世界であるからだ。

 

中島らもがそう言っていた意味が少しだけ分かったような気がした。