ヨナオシクス

まったり三十代フリーライター(ワープア)の活動日記です。お金と愛が不足しています。

「自己愛過剰社会」と「依存症ビジネス」を読んで依存症を考える

「依存症」という言葉が世に氾濫している。

 

 

など「依存症」を語尾につければなんでも依存症になってしまう気もするが、本来は「快楽」である行動がなぜ「不快」に変わってしまうのだろう。「やめられない止まらない」というかっぱえびせんのキャッチコピーはまさにジャンキーの自分のためにあるようだなと思う。

 

 

色々読んだ中で良かった本を紹介する。

「依存症ビジネス」と 「自己愛過剰社会」というものだ。

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

 

 

自己愛過剰社会

自己愛過剰社会

 

 

依存症ビジネスで依存症の外部要因と内部要因を仕分けする。

 

依存症にまつわる様々な本を読んだがシンプルに、

 

  • 外因性
  • 内因性

 

の両軸で考えると分かりやすいと思う。

「外因性」とは社会構造、産業が生み出す製品、メディアなどの影響のことで、「内因性」とは個人が生まれてから現在に至るまでに辿った軌跡またはその人の歴史のことだ。

 

依存症ビジネスの中で「ヘロイン」について触れられていて、ベトナム戦争中の兵士はヘロインを打ちながら戦っていた兵士が多かったそうだ。ヘロインと聞くと一度手を出したら廃人になってしまうイメージがあったが、帰還した兵士の多くは廃人になることなく通常の生活に戻っていったそうだ。

 

依存症と効くとお酒であれば「アルコール」、タバコであれば「ニコチン」に原因があると今までは思っていた。たしかに依存性のある成分は入っているようだが、依存症の根本にあるのはそのような「外因性」のものよりも、使う人間の心の奥底にあるもの、つまり「内因性」のものに本質的な原因があるという。

 

つまり、兵士が直面していた過酷な戦場という環境が彼らをヘロインに依存させていた可能性があるということだ。

 

「依存症は自ら選んだ障害」と依存症ビジネスはそのことについてもしっかりと触れている。

 

自己愛過剰社会で内的要因の原因を整理する

様々な「依存症」にまつわる書籍を読むと「ナルシシズム」「自己愛性人格障害」との関連が指摘されている。今までは「ナルシスト」は自分の事が大好きな人の事を指すのだと思っていたが、実のところは「素の自分が嫌いなので理想の自分を追い求めてしまう」精神構造があるようだ。

 

個人的な話になるが一日一食を実践していた際に参考に読んだ本の中に、「飢え」について「体が飢えているのではなく心が飢えている」ようなことが書かれていた。

 

それを読んでたしかに栄養としては十分とれているはずなのに、なぜこんなに頻繁に食べているのだろうと疑問に思ったことがある。断食をしていた人が「食事は娯楽」だと言っていたことがあり、「娯楽」を求める裏側に心の「飢え」の秘密があるのではないかと仮説を立ててみた。

 

このロジックはアルコールにも当てはまり、「のどが渇いているのではなく心が乾いている」と考えると大量飲酒の原因究明にも応用できる。毒物を積極的に摂取する姿勢は自然なことではないだろうし。

 

では、「心の飢え」の原因を様々な依存症の本で書かれている「ナルシシズム」に焦点を当てて考えてみる。

 

自己愛過剰社会で気になった点をメモをとった。

 

  • ナルシシズムは短期的な成功には有効であるかもしれないが、長期的には成功とほど遠くなる
  • ナルシシストは派手で、人目をひき、破滅的だ
  • 経済が順調なほどナルシシズムは強まり、経済的に困難であるほど名声を求めなくなる
  • 1970年代から離婚率が増え、自己愛性人格障害という言葉が生まれた
  • 「マイ」のつく商標やドメインが21世紀の初頭に増えた
  • SNSで若者が学んだことは、いつでも楽しむものがなくてはいけない、手に入れたら見せびらかす、成功とは消費者であること、幸せとは性的に魅力的な大人
  • ナルシシズムは長い目で見れば他人も自分も傷つける
  • 摂食障害者は傷つきやすい
  • 虚栄心に競争心が加わりナルシシズムが増加する
  • ナルシシストとの恋愛は華やかにはじまり、ボロボロになって終わる
  • ナルシシストは人をあまり赦さない
  • メディアは繁栄や自己賛美などの華やかな面だけ取り上げて、疎外や社会崩壊といった負の部分は見せない
  • 自分への慈しみはナルシシズムの治療薬
  • 自分への慈愛は自分を賛美したり、高く評価することでもだめな自分を弁護することでもない
  • 現実を正しく受け入れて自分にやさしくなること

 

自分に心当たりのあるものが数多くあった。

直接的な解決策は提示されていなかったが「許すこと」が欠落しているのではないかとヒントを与えてくれる。「他人を許せないのはまず自分を許せていないから」ということなのだろうか。

 

そして、許せない原因をもっと掘り下げていくと「アダルトチルドレン」の話に突き当たるが、それはまた別の回で書いてみたいと思う。

 

ジャンキー (河出文庫)

ジャンキー (河出文庫)

 

 

NHK映像の世紀と21世紀の見えない戦争

映像の世紀」と呼ばれるNHKが制作した番組がある。

 

モノクロの20世紀の映像を時系列に並べているのだが、

時間が経つのを忘れて見ていられる。

NHKはドキュメンタリーはクオリティがとても高い。

受信料徴収するよりオンデマンドで見たいものだけ見せてほしいといつも思う。

 

映像の世紀で多くの発見があったのが第一次世界大戦だった。

 

当時ヨーロッパの王族は王室間で政略結婚を繰り返していたため、

当時のイギリス国王ジョージ5世とロシア皇帝ニコライ2世の顔がそっくり

だったらしい。

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様々な国に分裂していたものの、

王族間の血のつながりがあったためなのか第一次世界大戦までの戦争

は一部の戦闘要員同士で戦い、ある程度勝敗が見えたら手打ちを

するというどちらかといえば「スポーツ」感覚のものだったそうだ。

 

第一次世界大戦はそのようなスポーツ的な戦争を、

「総力戦」と呼ばれるあらゆる人間の総力を結集したものへと変えてしまった

という。

 

戦争を総力戦へと後押しを行ったものが産業革命によるテクノロジーの革新であり、

飛行機、戦車、マシンガン、毒ガスなど現在へと禍根を残す大量破壊兵器

萌芽は第一次世界大戦で芽生えたと言っても過言ではないだろう。

 

映像の世紀で有名なシーンに後のイギリスの首相となったチャーチルによる

第一次世界大戦の総括を紹介するものがある。

そこでは人類の未来を見通していたかのような鋭い洞察がなされていた。

 

それは以下のようなものだった。

戦争から、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。
アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、兵士たちと危険を分かち合いながら、
馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。
そんなことはもうなくなった。
これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて書記官たちに取り囲まれて座る。
一方、何千という兵士たちが、電話一本で機械の力によって殺され息の根を止められる。
これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺す事になるだろう。
やがて、それぞれの国々は大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような
破壊の為のシステムを産み出すことになる。
人類は、初めて自分たちを絶滅させることが出来る道具を手に入れた。
これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。 

 

第二次世界大戦が終わり一見戦争が終わったように見えたが、

20世紀の後半は工業と経済という分野で「見えない戦争」が引き続き行われて

いたのではないだろうか。

日本における3万人という年間の自殺者の数字は戦争の死者として

捉えると現実味を帯びてくる。

 

道を歩いていると道路脇に花束がたむけられている光景を目にすることがある。

恐らく交通事故によって命を落とされた方がそこにいたのだろう。

経済戦争で生み出されたものが一般市民に危害を加える場面に

出くわすたびにチャーチルの言葉が頭に浮かぶ。

 

また、第二次世界大戦中の新聞を閲覧したことがあるが、

当時の新聞には軍人の写真がところどころに貼られていて

戦争の勝敗について様々な記事が日々掲載されていた。

 

それはまるでワールドカップの勝敗とスター選手の記事を

連日載せている現代のニュースに通ずるものがある。

人間の本能として「戦争」は常にどこかに存在しているということなのだろうか。

 

では、21世紀の戦争はどのようなものになるのだろう。

インターネットの普及による新たな産業革命は「情報革命」とも呼ばれている

そうだが、そこで行われる戦争は情報戦争の様相を示すのだろう。

 

2chの創設者であるひろゆき氏は、

 

「自分に子供ができたら2chを見せない教育ではなく、2chを見せても大丈夫な教育をする」

 

と言っていたそうだ。

要は自分に都合の良いもの悪いものを含めて

自分の頭で冷静に考える習慣をつけるということなのだろう。

 

話をまとめると、

テクノロジーの仕様は変わっているが人間の仕様は変わっていない。

ただ、オプションだけがやみくもに肥大化しているだけなのだ。

 

今の状況を例えるなら、車のディーラーでオプションに「カーナビの他にロケットランチャーもつけときますか?」と聞かれているようなものなのかもしれない。

 

「26世紀青年」という一つの未来予想図

26世紀青年」という映画をご存知だろうか?

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どこかで聞いたことのあるようなタイトルだが、

原題は「idiocracy」である。

造語のようだが意訳するなら「白痴社会」となるのだろうか。

 

2006年に米国でなんのプロモーションも行われず、

少数の映画館でひっそりと公開されたそうだ。

なお、日本では劇場未公開だという。

 

ジャンルはコメディ映画で内容を簡単に説明すると、

平凡な軍人の男と売春婦が「冷凍装置で冬眠する」実験プロジェクトに選ばれる。

しかし、プロジェクトの途中でトラブルが起き二人はそのまま放置され、500年が経過する。

500年の間に知能指数の高いものが子作りをせず、逆に知能指数の低いものが子供をたくさん作った結果人類全体の知能指数が低くなってしまう。

平凡な知能指数を持つ二人は目覚めた未来の世界でインテリ扱いされ、様々なトラブルを解決していくといったものだ。

 

26世紀青年 - Wikipedia

 

コメディ映画であるものの、ところどころに現実世界とオーバーラップする部分がありホラー映画の要素も含んでいる。

 

  • 未来人の衣服には企業ロゴがところどころにプリントされている。
  • 拝金主義が蔓延している
  • 電解質はどんなものにでも効く」というキャッチコピーを盲信した未来人は農作物にも水ではなくスポーツドリンクを与えている。
  • プロレスラーでAV男優だった男が大統領になっている。
  • お尻を延々と映し続ける映画がアカデミー賞をとる
  • 知能が下がってしまったことで過去のテクノロジーの遺産を使いこなせない

 

インターネット上の広告を彷彿させるような描写、お金のことしか頭にない人々は2006年公開にも関わらず今の時代を先取りしているようだった。

 

「コラーゲンが入っているので美容にいい」というキャッチコピーが、油ギトギトでカロリーの多いとんこつラーメンに使われていたことを思い出す。

 

さらに、ドナルド・トランプが大統領に就任することをこの映画が予言していたと話題になったそうだ。

 

昔、テレビが普及しだした時代に大宅壮一という社会評論家が「一億総白痴化」を提唱していたそうだが、マスメディアと広告とテクノロジーの組み合わせが人間を脊椎反射的な反応で動く動物に変えていくことを予見していたのだろうか。

 

夏の暑さを和らげる怪談がわりに見るにはちょうどいい映画だと思う。

 

26世紀青年 (字幕版)

26世紀青年 (字幕版)

 

 

 

「毒になるテクノロジー」「ネットバカ」を読んで、インターネットの負の側面を考えた。

インターネットが巷に普及してから、まだ20数年しか経っていないという。本格的に一般で使われだしたのはADSLが出たあたりからなのだろうか。

 

「夢の詰まった可能性の道具」

 

そんなイメージをインターネットに抱いていたが、インターネットを使うことの負の側面についてあまり考えたことがなかった。アル中、ニコ中、カフェイン中の目線からインターネットにどこかドラッグの臭いをいつも感じていた。

 

ある時期まで日本では覚醒剤が合法だった時期があるそうだが、松本人志のラジオでお母さんが勉強を頑張っている息子の部屋に、お夜食と一緒にヒロポンを持ってきていたと小話をしていて昔は一般家庭でも普通に使われていたことを知る。

 

合法か違法かただそれだけの話なのだ。

 

薬品であればある程度の臨床試験を済ませた上で市場に放出されるはずだが(実際はどうだか分からないが)、工業製品は人体に対する影響はリリース前のチェックの対象外ではないだろうか。後々問題が発生してから禁止されるなんてことはザラにある話だと思う。

 

そこで、数冊インターネットの人体に与える影響について書いてある書籍を数冊読んでみた。

 

「毒になるテクノロジー」

毒になるテクノロジー iDisorder

毒になるテクノロジー iDisorder

 

 

「ネット・バカ」 

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

 

簡単に気になった内容をまとめてみる。

 

マルチタスク

マルチタスクには、物事を並列で処理して効率化がなされているイメージがあったが、脳内処理では実は都度都度スイッチを切り替えているため並列処理ではなくかえって効率が悪いようなことが書いてあった。

 

このマルチタスクというはコンピューターの進歩とともに、世間に広まりだした言葉ではないだろうか。

 

マルチタスクをずっと行っていると注意力が散漫になり、物事を深く考えられず、脊椎反射的に外部情報に反応するようになるのだろうか。最近ネット利用時間が長い人に「本を読めなくなる」傾向があると目にしたが、ここになにか関連性を感じてしまう。

 

ADHDSNS

ADHD(注意欠陥、多動性障害)という病気もよく目にする単語だが、人間の脳は元々注意散漫な状態がデフォルトらしい。もしそうなら、教育などで矯正することで集中力を身につけたのだろうか。

 

人間も動物だとすると文明が発展する以前はジャングルに住んでいて獲物を獲ったり、周囲から襲われないように常に周囲にアンテナを張っていただろう。そう考えると注意散漫がデフォルト説は筋が通るような気もする。ジャングルで集中力を発揮して米粒に絵を描いていたら野垂れ死ぬだろうし。

 

そして、SNSを始めとした様々なプラットフォームのニュースのタイムラインは、次々と新しい情報を流している。この環境がジャングルに似ていて、ずっと使っているとADHDのような症状が出てくるというのは興味深い。

 

ただ、病気といえばなんでも病気になる世の中なので、ADHDは規律を重視をする社会では病気なのだろうが、自分で獲物を採るような仕事ではメリットになるのかもしれない。

 

テクノロジーが進歩することで人間がお猿さんに戻っていくというのは、SF小説のような話だなと思う。

 

自己愛

自己愛性人格障害またはナルシシズムというものがあるが、ここに多くの現代人が苦しみを感じている原因があるのだろうと思っている。

 

SNSはこの自己愛を歪んだ形で育むことを助長するそうだ。元々自己愛的な人物がSNSを使うのか卵と鶏の関係にあるようなので、もっと研究が進めばいいなと思う。

 

自己愛については別途まとめて、つらつらと書いてみようと思っている。

 

まとめ

「ゲームは一日一時間」。

公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間 (ファミ通ブックス)

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蝉の声を聞くたびに

今朝家を出るとセミが鳴いていた。

空は青々としていて先週までの雨が嘘のようだった。

 

タバコを吸っていると地面にだんご虫の姿を見る。

だんご虫は小学生以来見ていないが絶滅していたのかと思っていた。

 

セミは何年も地中で暮らしてひと夏にワーワー叫び倒すために地上に出てくるそうだが、そのワーワー叫び倒すことへの準備期間が長い訳だから、声もそれに比例して大きくなるのは自然なことなのだろう。

 

夏は長いようであっという間に終わる。

あと三月も経てば次の季節のことを考えなければならない。

蝉のこともその頃には頭の中から消えているだろう。

 

人間も蝉のようなものだと考えれば、あらゆる物事は刹那的でどうでもいいことなのだろうな。

投資家ジェシー・リバモアの残した「失敗」の意味

仮想通貨投資の話をちらほら飲み屋で聞くことがある。

 

バイナリーオプションやFXで「自由な生活が手に入る」と誰かを説得しているお兄さんをよくチェーン店のカフェで見かける。

 

チューリップや米など、

投資や投機に「一発逆転」の夢を見てしまうのは古今東西あることなのだろう。

 

余談だがゴールドラッシュの時代一番儲けたのは採掘者にスコップを売っていた業者だったそうだ。今はそれが仮想通貨のアフィリエイターに姿を変えたのだろうか。

 

自分が学生時代の頃、ちょうど日本はライブドアのITバブルに湧いていて、株でお金持ちになった人の話をネットで見て「働かなくてすむ」と甘い考えで興味を持ち口座を開いた。

 

本格的にやり始めたのは2008年頃だっただろうか。その当時は小泉政権でプチバブルの様相を見せており、ボーナスも結構出たのでビッグウェーブに乗ろうと始めたのだと思う。

 

すると不思議なことに「リーマンショック」が起こる。あまりポジションは持っていなかったが、ストップ安で売るに売れず画面の数字が真っ赤でキレイだった。ボーナスは半分程度まで減ったが、結果的にFXで全て消えた。おそらく才能がないのだろう。

 

その時の心境をはまさに「バナナウンコぱくぱくもぐもぐ」そのものだったと思う。

plasdick.blog.jp

 

当時、ジェイコム誤発注で20億近く設けた「BNF」という若い投資家がいた。大学生の時に貯めた160万を数百億にまで増やした事で話題となっていた。彼はリーマンショックでも儲けを出していたそうなので、そもそもセンスがあるんだろう。彼は空売りはしないらしい。

 

 テレビで見た彼の姿は、どこらへんにでもいそうな青年だった。お昼ご飯には眠くなるという理由でカップラーメンをすすり、服も安物で済ませているという。インタビューアーに対して「全然大したことはしていない」と自嘲気味に答えていてどこか寂しそうな人だと思った。

 

そのBNFが参考にしていた投資家に「ジェシー・リバモア」という人物がいると、ある日ネットで見たことがあり興味を持った。ネットの情報なので真偽は定かではない。

 

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ジェシー・リバモアは実在の人物だが20世紀初頭の好景気に湧いていた米国の投資家だった。巨万の富を築いては破綻することを繰り返す破天荒な人物で、一時はJPモルガンが頭を下げるくらいのポジションを抱えていたこともあるそうだ。

 

ノミ屋に相当するバゲットショップで得た僅かな種銭を元に巨万の富を築き、華やかな生活を謳歌したジェシーバモアとはどんな人物だったのか。自伝が出ているとのことだったので買って読んでみたことがあった。

 

投資に対する心構えが書かれており、「感情」がトレードには大敵のようなことも書かれていた。一流のトレーダーは感情を殺して、ロボットになることに徹する必要があるようだ。「あれが欲しい」「お金が入ったらこんな生活がしたい」「負けを取り戻さないと」などと夢想した時点で損失が拡大するのはよくわかる。

 

では、彼の最後はどうなったかといえば、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺してしまう。「自分の人生は失敗だった」と記した遺書と共に。自殺当時5億円程度の資産は残っており、贅沢三昧の暮らしを続けて一時代を築いた人間が「失敗」とは言いすぎではないかとその真意をよく理解できなかった。

 

うつだったなど、様々な憶測があったそうだが一番の理由は「子育ての失敗」にあると分析したブログを読んで少しだけ納得がいく。

whisper-voice.tracisum.com

 

感情を殺すことができるトレーダーも自分の子供にはその感情を殺し続けられなかったということだろうか。ロボットに感情が芽生えたとき、「人の何千倍もお金を持ったにも関わらず、人並みの幸せが手に入らなかった」ことに絶望したのだろうか。

 

この本を読んで以来投資をすることはなくなった。

彼の言葉の真意が分かる日が来るのだろうか。

世紀の相場師ジェシー・リバモア (海外シリーズ)

世紀の相場師ジェシー・リバモア (海外シリーズ)

 

 

 

ベンサムの功利主義とパノプティコン。そしてミシェル・フーコーの「監獄の誕生」

インターネットの恩恵を受けている昨今、iPhoneの生みの親なら「スティーブ・ジョブズ」、ワールドワイドウェブ(WWW)の生みの親なら「ティム・バーナーズ・リー」などシステムの元となる人物に関心を抱いてしまう。

 

では、それらを活用する現代の社会システムの生みの親は誰なのだろうか。自分はジェレミ・ベンサムにその姿を見てしまう。

 

ジェレミ・ベンサム功利主義

 

ジェレミ・ベンサム」は19世紀に生きていたイギリスの哲学者であり法学者だ。彼の功績で一番有名なものに「功利主義」がある。その考えの根底には「最大多数の最大幸福」がベースにある。

 

功利主義を考えるにあたって「トロッコ問題」がよく引き合いに出される。

それはこんな話だ。

 

ある日トロッコが暴走して制御が効かなくなる。トロッコの進路の先には分岐があり、片方には5人の作業員がいて、もう片側には1人の作業員がいる。どちらに舵を切っても作業員は必ず犠牲になってしまう。

 

このような極限状態でどちらの判断が「最大多数の最大幸福」なのだろうか。

 

そして、こんなことばかり考えているベンサムが発明したものにパノプティコンがある。それは、巨大な円形の刑務所で中央に巨大な監視塔があり、収容者同士はその姿を見ることができない。しかし、看守からは全ての収容者の姿が筒抜けになっている。

 

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「社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である」

 

「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」

 

 

ベンサムは社会の幸福を願ってこのシステムを作り上げた。それは、当時の刑務所の劣悪な環境を改善したいという思いからだったそうだ。

 

そして、パノプティコンの概念は軍隊、学校、工場、病院など他のシステムへと転用されていった。

 

つまり、現代の社会システムは「刑務所」または「監獄」から大きな影響を受けているということだ。

 

ミシェル・フーコーと監獄の誕生

 

フランスの哲学者ミシェルフーコーは、自著「監獄の誕生」においてパノプティコンについて触れている。そして、監獄を維持するファクターとして「規律」「訓練」にフォーカスしている。

 

規律、訓練を身近な事例で例えるならば、学校で行われる「整列」「前ならえ」などの集団統率行動がある。明治維新以後日本は西洋的な教育を施したが、江戸時代の寺子屋などの時代の教育を受けた人間は並ぶことができなかったという。

 

そして、それは身体的な規律のみならず精神的な規律も生み出す。フーコー人道的観点から身体対する刑罰から精神に対する刑罰へ移行した」という。

 

多くの人間は「学校」をとおして規律、訓練を学ぶ。そして、そのシステムとの親和性が高ければ高い人ほど「パノプティコン」の姿が表面に現れてくる。その精神の奥底に打ち込まれた楔はなかなか外すことができない。

 

例えば、

 

「規律でがんじがらめで嫌になった会社を転職したものの同じような場所に転職してしまっている」

 

「自分でもいつのまにかあんなに嫌だった刑務所のようなシステムを作ってしまっていた」

 

 

まるで、帰巣本能のように「監獄」が眼の前に再現されると「またか。。」と一種の絶望感すら感じてしまう時がある。「鎖につながれた象は、その鎖が外されても今までと同じ場所をグルグル回ってしまう」とはよく言ったものだ。

 

監獄のよい面

今までは「監獄」の持つ負の側面についてフォーカスしてきたが、「最大多数の最大幸福」を考えられてつくられた監獄にはプラスの側面ももちろんある。

 

「規律、訓練」を受け入れる代わりに監獄は、衣、食、住を提供してくれる。実際に勤め人を辞めると「毎月一定額の生活費」が振り込まれるありがたさを実感できる。

 

しかし、あくまでも「最大多数の最大幸福」のためのシステムなので、最大多数に入れない場合はその恩恵を受けることができない。そして最大多数の人数が年々変化しているような気もする。

 

「病院で生まれ、学校で教育を受け、工場で働き、病院で息を引き取る」という一生の流れを考えると、ゆりかごから墓場まで監獄から逃げようがないことがわかる。

 

監獄との向き合い方。

AIが中央の監視塔に据えられる日、きっと嫌でもそれを考えざるを得なくなるのだろうか。